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【人財教育/企業支援】 ビジネスサポート・ コミュニケーションブリッジ 代表 石井 吉治 yosiharu(あっと)mis.ne.jp >> WEBサイト ★☆ブログ更新予定☆★ 業務日誌 :月~金曜日 (祝日を除く) 企画の勘所 :日曜日 最新のトラックバック
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2012年 05月 25日
床屋さんにいってきた。
散髪のリズムは誠に律儀なもの、前回から一月目ぐらいになると「床屋へ行こうかな」という気分になる。家の近くにも何軒かの店があるのだが、決まって蒲郡駅前通りの床屋に行く。 赤と青と白の縞模様の丸いポールがクルクルと回りだすのが8時半くらいからなので、その時刻に合わせて店に入ると「今日も一番ですね」という具合になる。 確かな技術をもった三代目ご当主、彼には「余人をもって替えがたい?」もう一つの「特技」を売り物にしている。それが生半可なものではないのだ。手際よく櫛や鋏を使い分けながら話しかけてくるのだが、その話材がこの客の「ストライクゾーン」に投げ込まれるまで、客の「ノリ具合」を探り続ける。正直言って、閉口することが多いのだが... 自分に対する場合は、まずパソコンなどの話材から始まり、市内全般にわたる新しい出来事に移る。その解説たるや、微に入り細に入り、誠に堂に入ったものである。おかげで「はい!お疲れ様でした」と解放されるまでには、わが身は「世間通」に変身させられている。 散髪決行のときには「来週の水曜日(何故か、水曜日と決めている)、床屋へ行くから」と、妻に予告することにしている。夫婦の間には「床屋=太巻き」という奇妙な暗黙の了解が成り立っていて、妻には「大歓迎の予告」なのだ。 ![]() 1時間ほどで散髪が終わると、総菜屋「やまこう」に直行する。 ![]() コンビニやスーパーに押されて、何軒かあった街の総菜屋さんはほとんどが店を閉め、家族総出で頑張っているのはこの店くらいになってしまったのだが、ここの「太巻き」が天下一品。シャリの酢加減が上品で、シンプルな洗練された具を引き立てる。良質な海苔で巻かれた程よい太さ、値段もまずまず。あっさり味の稲荷寿司もなかなかなものだ。 太巻きは、床屋帰りの時間に行けば必ず買えるのだが、もう少し後の時間帯では「売り切れ」となる人気商品なのだ。 2012年 05月 22日
JR中央線.武蔵境駅から西武是政線(現.多摩川線)に乗り換え一つ目の新小金井駅で下車、畑や林の中を通り抜け、小金井市東町1丁目という所に「千野荘」という木造二階建アパートがあった。社宅暮らしは、この誠にお粗末なアパートの二階の部屋(借り上げ社宅)から始まった。
目の前には広大なゴルフ場が広がっていて、日曜日などには、時折、プレーヤーの姿を見かけることがあった。当時ゴルフは、ハイソサエティの一部の人たちが楽しむスポーツであったから、一億総ゴルファー化した現在からすると、隔世の感を禁じ得ない。 改めて調べてみると、1970年代まで国際基督教大学(ICU)の牧場や生物学演習林を兼ねていたこの「ゴルフ場」は、現在、東京都調布市や小金井市東町や三鷹市大沢にまたがる都立「野川公園」として、都民に解放されているという。 ![]() 社宅「千野荘」に入居したのは、昭和44年(1969年)四月のことであったが、別棟には新婚ほやほやのN氏が入っていた。その後、新築成った市川の社宅(鉄筋4階建の集合社宅)にN氏と共に引っ越した仲なので、年金生活を謳歌?する現在でも、時折電話などで近況を確かめ合う間柄なのである。 さて、孫に恵まれたといってN氏夫人から妻に電話があったのは、今年の初めの頃であったか。話では、出産時の体重が標準に比べて極端に小さく、何週間か保育器に入れられていたのだという。 夫人曰く。 「この頃は“小さく生んで大きく育てる“というのが一般的で、妊婦さんも、食事制限をさせられることがあるんですって!驚いたわね。それに、この児は”でべそ“なの。私が嫁さんに”10円玉をおへその上に置いてバンソウコで押さえるといいのよ“と教えると、嫁さんが”お母さん、いまはそんなことする人いないわよ“と、大笑いされましたの。もう、子育てのお節介は止めました」。 我々夫婦も、簡単な両足屈伸運動で「でべそ」が正常に戻るなどということは知らない「10円玉世代」だ。ましてや、「小さく生んで大きく育てる」などという話を聞くと「そんなバカな!親は、栄養をたっぷり摂って、お腹の児を丈夫に大きく育てるもんだ!」と、ついつい青筋を立ててしまう一徹組なのだ。 朝日新聞4月29日の朝刊一面トップに「赤ちゃん体重 減る一方」という記事があった。男児の出生時体重は平均2980グラムで10年前より61グラム少なく、女児は45グラム少ない2910グラムだという(厚生労働省.乳幼児身体発育調査)。 母の自慢話の一つに「生まれた時は、1貫目(3750グラム)ちかくもあったんだー」というのがあるが、そんな話を聞かせてくれるときの、優しい母の眼差しを思い出す。 ![]() これは「でべそ」の写真にあらず。 石垣の水抜きの管を住まいとしている「とかげ」なのだが、家の周りは「かなちょろ(北海道弁?)」天国。原色の派手な衣を纏うものなど10種類を超える「同僚?」が、まるで、我が庭を「集合社宅」とでも見做しているのかのように、我が物顔で這いまわっている。 2012年 05月 18日
今回連休のハイライト?の一つに、DVD「ミュージカル.オペラ座の怪人 25周年記念公演 inロンドン」の鑑賞がある。
我々夫婦は、DVDが発売(今年1月25日)された時点で観ているのだが、家族揃って楽しむのは初めての事であった。 ![]() 5、000人余の大観衆で埋め尽くされた異様な空間の2時間30分、華麗なるテーマ.ミュージックは心の奥底を揺さぶり、ロイヤル.アルバート.ホールは、カーテンコールを迎えるに及んで、興奮の極に達する。 ![]() ラミン.カリムルー演ずるファントムが、地底の隠れ家で、クリスティーヌに寄せる恋の想いを切々と歌う場面は、思わず涙ぐむほど素晴らしものであったし、豊かな声量で幅広い音域を堂々と歌いあげるクリスティーヌ演ずるシエラ.ボーゲスも、25周年記念公演に相応しい最高の演技と雰囲気を楽しませてくれた。 映画「オペラ座の怪人」を観たのは2004年の早春のころであったか。 ファントムのジェラルド.バトラー、クリスティーヌのエミリー.ロッサム、ラウルのパトリック.ウィルソンが熱演する「オペラ座の怪人」は素晴らしく、帰りに、特別販売コーナーで「オペラ座の怪人 オリジナル.サウンドトラックCD」を買い求めたほどであった。 それから間もなく、映画「オペラ座の怪人」のDVDが発売され早速購入したのだが、「コレクターズ.エディション 初回生産限定」と銘打つディスクは9、975円。本編ディスク+2枚の特典ディスクが「真っ黒いビロード張り」の豪華なケースの中に収められているのだ。子供たちからは、ことあるごとに「お父さんの買うDVDはビロード張りだもんね」などと「おちょくられる」こととなる問題のDVDである。 ![]() ビロード張りの中の特典ディスクが面白い。 ヒロイン.クリスティーヌに抜擢されたエミリー.ロッサムは、出演当時16歳。クランクインを前にしてパリ.オペラ座を実際に見学したそうだが、そのときの模様を「劇場の地階を見せて貰った時には、本当に驚きました。十分に人が住め、ボートだって浮かべられるこの地底が、川なのか水路なのかわからなかったが“ファントムが住む地底の隠れ家”を容易に連想させてくれるものでした。昔からオペラ座にはゴーストが住みついているという言い伝えがありますが、ゴーストではなく“霊魂”が住みついているのではないかという、何ともいえない感動が伝わってきました」と言っている。 ![]() また、脚本.作曲.演出の総てに関わったアンドリュー.ロイド.ウェバーは「オペラ座に住みついていると言い伝えられてきた“ゴースト”を追い出すために作られたのが、オペラ座中央に輝く“大シャンデリア”だと聞いている。今回の映画を成功させるために、私は“後世に残る大シャンデリア”を作ろうと決心した」と言い切っている。 ファントムとクリスティーヌ、クリスティーヌとラウル、ラウルとファントムが織りなすドラマの中で、“大シャンデリア”が放つ効果は計り知れないものがあるが、彼は、1895年創業の世界最大のクリスタル.メーカー「スワロフスキー(SWAROVSKI)」に直接シャンデリアの作成を依頼。パリにあるティースラン社というシャンデリア専業のメーカーとの共同作業であったそうだが、“大シャンデリア”は 見事な出来栄え。作成費はなんと1億2千万円であったという。大勢のキャストが使うイヤリングやネックレス、あるいは衣装を彩る飾りも、全てSWAROVSKIのクリスタルで統一するという徹底ぶりであったそうだ。 また、この特典ディスクには、サラ.ブライトマンの貴重な映像が17分間にわたって収録されている。アンドリュー版ミュージカル「オペラ座の怪人」は、1986年10月にロンドン.ウエストエンドで初演されたのだが、当時ミュージカル俳優としては無名だったサラ.ブライトマンが主役クリスティーヌに抜擢されたのだ。業界とマスコミからは轟々たる非難の声が巻き起こったという。 このあたりの事情について、アンドリュー.ロイド.ウェバーは「妻(1984年に結婚.その後に離婚)であったから依怙贔屓したのではない。これは神に誓っても良い。私は、ずっと以前から私の“レクイエム(Pie Jesu)”を歌うサラの奥行き深い歌唱力を高く評価をしていた」と、抜擢の理由を語っている。 そして、初演の映像に見るファントムの「マスク」だが... ![]() 「オペラ座の怪人」は、フランスの作家ガストン.ルルーの小説「Le Fantôme de l'Opéra 1909年発表」を原作として、数多くのの脚本家や演出家によって映画化されてきたという経緯がある。中には、マスク無しのグロテスクな火傷の後が生々しい素顔のファントムもあったそうだから、色々なアイディアのマスクが使われてきたのであろう。 現在、誰もがイメージするファントムの「マスク」は、顔の右半分を覆うマスクか、顔全体を覆うマスクかの違いはあるものの、色は白色である。真っ白の方が、見る人の想像力を掻き立てるからであろうか。 さて前述のミュージカル「オペラ座の怪人」25周年記念公演がロンドンのロイヤル.アルバート.ホール(Royal Albert Hall)で行われたのは、昨年10月1日と2日のこと。映画版で使用された2万個ものフルカットのスワロフスキー.クリスタル製シャンデリアが舞台中央天井から下界を睥睨し、総勢200名余のキャストやオーケストラで繰り広げられた公演(初日)の模様は、世界主要都市の映画館(イギリスの250を含む1、100の映画館)でライブ中継された。 通常、舞台が終わると、次々に出演したキャストが舞台に戻り最後に主役が姿を現すという儀式=カーテンコールが控えている。しかし、今回25周年記念公演のカーテンコールは、単なる儀式とは大違い。登壇したアンドリュー.ロイド.ウェバーが「25周年記念公演」開催に至るまでの経緯と感謝の言葉を述べ、企画や演出に関わったプロデューサー及び全キャストを司会する。 その上で、1986年ロンドン公演.初演の主役.ファントムのマイケル.クロフォード、クリスティーヌのサラ.ブライトマンが登場するのだ。 ![]() サラ.ブライトマンがメインナンバー“ThePhantom of the Opera”を熱唱するのだが、これが、オーストラリア公演やカナダ公演.初演のファントム役、その後のロンドン公演で人気を博したファントム役、そして今回記念公演のファントム役、新旧5人のファントムが、サラの熱唱をサポートする。(※劇団四季による初演は1988年4月 日生劇場 初代ファントムは市村正親) 5、000人の観客で埋め尽くされたロイヤル.アルバート.ホールは総立ち。鳴り止まぬ拍手、熱気と興奮に包まれた「カーテンコール」は必見である。 9、975円を投入した「おちょくられ」のDVDではあるが、ロンドン公演25周年記念「オペラ座の怪人」と重ね合わせてみると、矢張り、初回生産限定の「真っ黒いビロード張りの豪華」なケースに入ったDVD.映画「オペラ座の怪人」は、十分に価値ある存在なのである。 2012年 05月 15日
これも連休中のエピソードなのだが、親父が密かに試みた「ある演出」を、息子がそっくりそのまま、丸投げならぬ丸真似をしたという話である。しかも、二番せんじの方が俄然受けが良く、家族の話題を総なめにしたのである。
「二番せんじ」を語る前に、幾つかの出来事を時系列的に述べなければならない。 帰省の娘を蒲郡駅で迎え我が家に急ぐ車の中、あれやこれやと話が弾んだが、「あやつ、カルバドスのことを言い出すかな?」という。「もう忘れているんじゃーないの」というと「そうかなー?今回は飲ませるの?」と聞く。「今回は、他のものがあるからね、この次くらいかな」と、他人が聞いても何のことか分からない奇妙な会話が続く。 今年3月30日のブログ<ホテル.メインバー Don Giovanni>の中に「カルバドスが注がれたブランデーグラスを鼻に近づけた息子は、ひゃー、すげー香り、少し飲んでみてよ!とグラスを手渡してくれる。家にも一本あるよ!といえば、ほんとう!今度いったら飲ませてね!ときた」という件がある、のである。 3月の初めであったか、沖縄.北谷(ちゃたん)のコンドミニアム.ホテルに長期スティしているという妻の知り合いから「友人が来るの、一緒に連れて行って喜ばれるような所があったら紹介して!」という電話があり、以前、妻と見学したことのある「ヘリオス酒造」を薦めたそうだ。クース(貯蔵3年以上の泡盛の古酒)などで有名な名護市に本社を置く酒造メーカーである。誠に義理堅いご夫妻で「その時のお礼に」と、主(ぬーし)という同社の古酒を下さったのだ。 ![]() 話は変わるが、家族が揃った時の“飲み方”だが、通常の場合、最初にビール次に辛口白ワイン、そして赤ワインという流れとなるが(シャンパンを抜くときは別のパターン)、それから先の食後酒(ディジェスティフ Digestif)などは各自にお任かせ、というスタイルをとっている。 さて、連休初日の夕食は「通常パターン」で始まった。子供たちを連れて拾石川のほとりを散歩し、一風呂を浴びたあとのビールはなんともいえないものだ。白ワイン、赤ワインとすすみ、一応、食事を終える。「さあ、あとは勝手にやってよ!」と、ディジェスティフの“自由時間”を迎えるのだ。 テーブル横のハッチの洋酒コーナーには色々なボトルが並んでいるのだが、今宵は、ニュー フェイス「主(ぬーし)」を置いておいた。ユーロピアン顔のボトルたちの中で、紅一点?というか、オリエンタルな面魂が際立つ新顔ボトルを目ざとく見つけた息子が「これ何?」と聞く。「これはね、沖縄の...」と、我が家にやってきたいきさつを話しながら栓を開ければ、かめ貯蔵熟成のクース(古酒)は限りなくまろやか、「おいしいもんだね」などと言い合いながら、芳醇な香りと深い味わいを楽しんだ。 そして二日目の夕食。今宵も「通常パターン」で始まり、いつものようにディジェスティフの“自由時間”を迎える。今日は「主(ぬーし)」の隣に「気が付くかなー」と密かにほくそ笑みながら“カルバドス(Calvados フランス.ノルマンディー地方で造られるアップル.ブランディ)”を、そーっと置いておいた。 昨夜、クースの深みにはまった息子が、「主(ぬーし)をもらっていい?」と言いながらボトルに手を伸ばそうとした瞬間、「カルバドスだ!」と、叫んだのだ。 ![]() 生粋なユーロピアン顔のカルバドスだが、主(ぬーし)と肩を並べる事にでもなれば、すまし顔で気取ってはみても、逆に目立ってしまう存在だ。この親父の演出が面白いと、座は盛り上がったのだが...。 翌日の午後に息子は帰路につき、次の日には娘も帰っていった。 しかし、静寂な日常に戻った我が家では、音もなく、「ミステリアスな珍事」が起こっていたのである。 二階の仕事部屋でPCをやっていると、階下から「ちょっときて!」という妻の声。なにごとかと足早に妻の許へ下りてみれば「あなた、一匹置いた?」と意味不明な言。「いや!何で?」といぶかると「変だね、3匹だったヤマネが4匹になっているのよ」と怪訝そうな顔。確かに、3匹が仲良く入っていた筈の籠の中が4匹になっているのだ。3匹が4匹になったという事実を夫婦は俄かには受け入れられない。二人は言葉もなく、不思議なものでも見るように、その場に立ち尽くす。 我に返った妻は、娘に「3匹が4匹となった」とメール。娘からは「ええー、私は知らないよ」と言われ、問題解決の糸口は見つからない。「息子がそんな洒落たことをする筈はない」と断言していた妻であったが、念のためにといいながら、メール。 息子から「ハッハッハアー、ばれたか!」という電話がきたのは、それから少し後の事であった。 ![]() 「盗人を捕らえて見れば我が子なり」ということがあるが、タイガーマスクの主人公.伊達直人(と、名乗る人/ランドセルを贈る)とは同列に扱うことは出来ないが、ヤマネ1匹を、そーっと籠に入れていった人を探し当ててみれば、我が息子であったのだ。「事実は小説よりも奇なり」というが「ヤマネの不思議」を演出したのが息子だったとは、誰れ一人として思い至らぬ、まさに、青天の霹靂ともいうべき“珍事”であったのだ。 息子が言うには「会社の人がね、軽井沢で買ってきたんだけど、よかったら、ヤマネ好きのお母さんに持っていっていいよ、と、言ってくれたので貰っちゃったんだよ。親父のカルバドスの演出に倣って、そーっと、籠の中に入れてきたんだよ」といって、高笑いをしていたそうだ。(昨年8月19日のブログ「我が家のヤマネ物語」をご覧になってのご好意からか?この会社の人に感謝!) 子どもたちと3,4日一緒に過ごしただけなのに、実に色々なことがあったゴールデンウイーク。夫婦二人だけの日常では起こり得ない異質の出来事を思い返しては、懐かしんでいる。 2012年 05月 11日
連休中に障子の張り替えをした。
息子に「経年劣化だよ」といわれた障子。仕事部屋隣の日本間の障子に複数の破れ穴があるのが気になっていたのだが、誰が来るわけではないし「またでいいか!」などと張り替え作業を先送りしてきたのだ。 “経年劣化”はふすまにも及び「職人に頼むほどの“モノ”でもないしね」ということで、連休中にやろうということになったのである。 しかし、週間天気予報によれば作業予定日辺りは「雨天」だという。この頃の予報の的中率は非常に高いので、事前に水洗いを済ませておいた。 ![]() 天気予報は見事的中。作業予定日の朝も雨模様であったが、幸いにも、正午近くから晴れ間がのぞき午後には汗ばむような陽気となった。 妻が「糊」を水で希釈し障子の桟になじむ状態にまで温めながらかき混ぜる。作業場の段取りを済ませた父と娘は、間断なく糊つけと紙張り作業ができるように、障子紙を一定の大きさに整える。 下準備ができ刷毛で糊つけの作業に取り掛かる。息子は買い物があると言って大須に出かけてしまったが「二人の方がやりやすいよね!」などと言いながら、安全カミソリを使いはみ出た障子紙を切り整え、霧吹きで万遍なく補水を施す。 5月のまばゆいばかりの光と風の中にある庭は、サツキやスズランやオダマキの花々が揺れる。夏みかんの花も満開寸前、紫陽花も小さな蕾をつけ始め、ツバメが飛び交う。何年ぶりかの障子張りであったが、出来栄えはともかく、気持ちの良い心穏やかな作業であった。 高校生であった頃か、一家総出でふすまの張り替えをしたことがある。姉が嫁に行くというので、親戚縁者がお祝いに参じるということがあったのであろう。 そのときの俳句?に「嫁入りの姉に襖の模様替え」というのがあるが、習いたての頃のものなので季語もなく、お恥ずかしい次第。しかし、いままで十数年一つ屋根の下で暮してきた姉が、何日か後に嫁ぎ「そのまま嫁入り先の家の人になる」という現実を前にして、一抹の寂しさを覚えた弟であったろうか。それでも、姉が幸せなお嫁さんになってほしいと、心から願ったエールなのであろう。 ![]() 障子張りは終わった。陰干しが済むころには、障子紙は「ピン」と張りつめて綺麗に出来上がる。そのあとは、定位置に収めるだけだ。 帰省中、この部屋に寝起きすることに決めている息子は「障子が無いと部屋がものすごく広く感じるよ」といっていたが、この次、張り替えの必要がでてきたときは「障子無しもいいかもしれないね」などと話しながら、午後のお茶を楽しんだ。 連休のよき思い出となった障子張りである。 2012年 05月 08日
子どもたちが帰省して賑やかだったゴールデン.ウイークも終わった。
今回も、いろいろなワインを飲みながら屈託のない食卓を楽しんだが、その中に「SAURUS MALBEC( サウルス.マルベック)2007年」というアルゼンチン産のワインがあった。 昨年大晦日の朝の事、友人から「伊勢で正月を過ごすので、蒲郡に途中下車していいかな?」という電話があり、「嬉しいね!」と即決。当時の蒲郡プリンスホテル(現.蒲郡クラシックホテル)で落ち合った。久しぶりに会う彼は、我が国のワイン黎明期、同じ釜の飯を食った仲間の一人である。奥様も市川の社宅住まいの頃の知り合いであったから、直ぐに打ち解けて、可笑しくも素晴らしき土産話を楽しませてくれた。 「石井さんなら、このワインが分かってくれると思って...」といいながら手渡してくれたお土産が「SAURUS MALBEC2007年」である。 アルゼンチンワインの輸入.販売ビジネスに携わっている彼は、昨年10月、取引先のSCHROEDER社(シュローダー)を訪問してきたのだが、「ワイナリーはどこにあるの?」という問いに、口をもごもご、なかなか的確なる説明が返ってこない。それもそのはず、アルゼンチンに関する知識がゼロという自分には彼の説明を受け入れる素地が全くないのだ。口をもごもごするのも無理のない話だ。 ![]() 改めて資料などで整理してみると、次のようになるようだ。 南米大陸最北端のベネズエラ、コロンビア辺りから天空に聳える世界最大の山脈アンデスは、大陸の西側に沿いながら南北7、500KMを貫きチリ、アルゼンチンに至る。アンデス山脈に源流を持つコロラド川が大西洋のアルゼンチン海盆に流れ着き大地を二分する。そのコロラド川以南の地域を総称してPATAGONIA(パタゴニア)と言い、その広大な地域はチリとアルゼンチンの両国に跨るという。SCHROEDER社のワイナリーは「PATAGONIA ARGENTINA」と呼ばれるアルゼンチン国側のパタゴニア地域のネウケン州にある。しかし、米国コロラド州ロッキー山脈に源を発し、グランドキャニオンの峡谷を下り、メキシコのカリフォルニア湾に注ぐコロラド川とは生まれも育ちも異なることなどを知ると、こじんまりとした日本に住む我々には想像を絶する位置関係にあるのだ。 さて、気になる「SAURUS」というブランド名なのだが... もともとアルゼンチンは「恐竜大国」と言われ、約2億3千万年前の三畳紀の堆積物が露出し、史上最古の恐竜「フレングエリサウルス」などの化石が出土する世界遺産「イスチグアラスト自然公園」を誇るお国である。 ![]() そして、佳日、シュローダー社のワイナリーの敷地から「恐竜の化石」が出土し大きな話題となったが、その慶事に因んで「SAURUS」というブランド.シリーズを展開し始めたそうだ。今や、アルゼンチンで一流のブランドに育ったと言われている。 恐竜の化石が出土したというワイナリーで造られたSAURUS MALBEC 2007は、我が晩餐にどんな印象を与えたワインであったのであろうか。 もともとMALBECという葡萄は南仏カオール周辺で栽培されている葡萄なのだが、通称「カオールの黒」と呼ばれているように、グラスに注がれたワインは、濃いビロード色を呈しているというよりは、限りなく黒色に近い赤色、非常にタンニンの強いワインである。が、SAURUS MALBEC 2007の色合いは、丁度、濃いビロード色とカオールの黒とをブレンドしたような「濃い赤色」で、重厚な華やかさを感じさせるワインであった。強力だが程よいタンニン酸が全体の味香を整えていて「神ちゃん(友人の愛称)凄いワインを持ってきてくれたんだね」などといいながら、地球の裏側アルゼンチンの味を堪能したのであった。 南仏カオールの葡萄MALBECが、どんな経路でアルゼンチンに渡っていったのか知る由もないのだが、アンデス山脈という神のご加護とでもいうべきか、年間降雨量が極度に少ない砂漠状に近いパタゴニアの大地に順次適応し、「アルゼンチンのマルベック」として育ってきたのであろう。 資料によれば、アルゼンチンのワイン生産量は、フランス、イタリア、スペイン、アメリカ合衆国に次ぐ世界第5位。平成15年度の統計によると、アルゼンチン成人1人当たり年間ワイン消費量は40リットル(日本は1.9リットル)という、ワインの大先進国である。ワインの消費量で見る限り、我が国などはアルゼンチンの足元にも及ばぬ存在なのである 2012年 04月 27日
己の足で、念仏の大本に立たんと、親鸞の修業は続く。
法然上人の流罪が解かれ、親鸞にも赦免状が届いた。越後に暮して5年、村人たちのための施療所を営みながら、男児二人に恵まれた親鸞は39歳。平穏な日々が続いていた。 ![]() しかし、そんな平和な暮らしは長続きしない。 鎌倉幕府の意を受け、戸倉兵衛後任の守護代は念仏禁制の動きを強め、村人たちが唯一心身を委ねることがでる施療所も没収された。しかも、念仏を唱える親鸞の唯一の拠り所であった法然上人が、浄土往生を遂げられたのだ。 なぜ念仏をするのか?と問われれば,ただ念仏して浄土に生まれよ、と、法然上人がおっしゃっているからだ、と、迷うことなくズバリと答えていた筈なのに、その後ろ盾を失い「独り」となってしまった今となっては、自分自身の言葉で「念仏をすすめるのはなぜか」を語らなければならない。 源氏の支配が色濃くなるにつれ、世の中は再び大きな濁流のうねりに飲み込まれていく。親鸞の心は揺れに揺れ“新しい修行の世界に踏み出したい”という抑えきれない渇望がうずき始める。 親鸞が忠範(ただのり)と呼ばれていた幼少の頃、河原の聖であった河原崎浄寛(じょうかん 現.香原崎浄寛(きよひろ)の招きで、常陸の国(茨城県)稲田に住み替えることを決意する。恵信と子供たちを伴い、親鸞は関東を目指して出発した。 善光寺に詣で上野(こうずけ/群馬県)を経て下野(しもつけ/栃木県)の国に入り、さらに下総(しもうさ/千葉県)から常陸(ひたち/茨城県)の国へと旅を続け、小島(おじま)に辿り着き、道場を開く。親鸞の説法を聴こうと、大勢の下人や武士、船頭や名主たちがきに集まってくるようになる。 ![]() 自身の言葉で語ろうと、親鸞は色々な説教の仕方を試みる。 今様をうたい「仏の教えは、はじめは文字に書かれた経典としてではなく、歌として口ずさまれ暗記され、人々に伝えられていった」と、説法する。その説法もさることながら、親鸞の見事な美声と歌い振りは、集まったものたちの涙を誘う。 挫折した若き日の体験談は、会場に笑いと安堵の雰囲気をもたらした。不眠不休で仏のお姿をはっきりと目にするまで念仏を繰り返す決死の行「好相行」の末、仏と対面することができなかったと語れば「ほんとうに親鸞さまは阿弥陀さん、見たことねのけ?」などと驚かれ、会場は爆笑に包まれる。 親鸞の説法を聴き「ただ念仏して浄土に生まれよ」という法然上人の教えを信ずる人びとが、関東一円に広まっていったが、一方で、親鸞をおとしめようとする陰謀の影が迫ってきていた。 悪をなせばなすほど仏が救ってくれる。だから十悪五逆の限りを尽くせ、と説く「黒念仏くろねんぶつ)」が、村人たちの間に広がり始めていたのだ。親鸞は、その集団の首領.黒面法師.伏見平四郎の仕掛けた罠にかかり、命を落とさんとする。間一髪、親鸞が忠範(ただのり)と呼ばれていた頃の仲間.白川印地.ツブテの矢七に救われる。 親鸞は、十悪五逆の限りを尽くした黒面法師.伏見平四郎を「念仏する者も、それを信じない者も、ひとしく人は浄土に往生する」と、心の中で、恕す(ゆるす)。 親鸞は、「顕浄土真実教行小門類(けんじょどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)」を書き上げた。 法然上人の「選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゆう)」や「無量寿経(むりょうじゅきょう)」などの経典を読み込み、自分の信心を育ててくれた核心部分を選び出し、それに自分の考えを付して書き上げたものだ。 修業の道筋を「顕浄土真実教行小門類」としてまとめ書き上げたことで、親鸞は「浄土が見えることはない。が、浄土の教えは千数百年以上も人々の心に生きている。浄土は確かにあるのだ」と確信するに至る。 そして「人の心は愚かで弱く迷い悩むもの。念仏を唱えることで、他力の声が、真の信心に連れ戻してくださる。それが念仏かもしれない」と思いを定め、「なぜ念仏を唱えるのか」という根源的な問いに応えようとする。 親鸞は一筋の光明を見出したのだ。 恵信と子供たちは稲田から越後に発って行った。人気のない草庵で、親鸞の一人暮らしの日々は、たんたんと過ぎていく。 しかし、天変地異が次から次へと続き、民心は大震災に見舞われた直後のごとく荒廃し、念仏に励んできた人々の様子が様変わりしていく。鳴りを潜めていた加持祈祷(かじきとう)が再び頭をもたげ、目を覆うばかりの都の惨状に念仏弾圧の激しい動きが加わり、法然上人が残された「遺教」も風前の灯! 親鸞61歳。「浄土は確かにあるのだ」という唯一の光明を胸に、都に旅立った。 親鸞 激動編はここで終わるのだが... 親鸞が稀に見る長寿であったことについて、著者は新.幸福論(ポプラ社)の中で「平安末期から鎌倉時代の動乱期に90歳まで生きた稀有な人」と述べている。都に帰り着いたのは62、3歳の頃であったようだが、常陸(ひたち/茨城県)の国.小島(おじま)から京の都まで、鬼が出るか蛇が出るか知れぬいばら道、よくもまあーこの歳で、無事に辿り着いたものだとつくずく感心してしまう。 艱難辛苦を乗り越えてようやく辿り着いた「一筋の光明」。その光に導かれ都に上る親鸞には「日残りて昏るるに未だ遠し(清左衛門残日録 平成5年 NHK金曜時代劇)」の覚悟があったのであろう。親鸞が歩む「念仏の道」に、どのような命運が待っているのであろうか。 著者の次なる「編」に期待したい。 ![]() 余談となるのだが... 親鸞 激動編(上)でもそうであったが、激動編(下)の至る所に「今様」が取り上げられている。 何度も引用されている今様の一つに「はかなきこの世を過ぐすとて、海山稼ぐとせしほどに、よろずの仏にうとまれて、後生わが身をいかにせん」というものがある。 著者は「救いを求めて仏にすがろうとすると、よろずの仏は皆、さしだされた人々の手をふり払って去っていく。おまえたちのような悪人を救うことはできない、と。去っていく仏たちを見送り、呆然とたちすくむ人びとにむかって、法然上人はこう力づよく語りかけたのだ。よろずの仏にうとまれた者たちよ。あれを見よ。すべての仏たちが去っていくなかに、だた一人、こちらに向かって歩いてこられる仏がいる。あれが阿弥陀仏という仏だ。よろずの仏に見はされた人びとを救う、と誓って仏となられたかたなのだ」と解説している。 著者は、我が両足で「念仏」の大本に立とうともがく親鸞の心の揺れを、「今様」を通して語ろうとしているのであろうか。 恥ずかしながら「今様」などは、普段あまり意識する事はない。資料によれば、「今様」は平安時代中期に発生した「現代流行歌」を指すと言われる。以前からあった神楽歌=古様などに対して、最新の流行歌=今様と称したそうだ。 以前、伊勢神宮を詣でたとき、縁あって『御内垣参拝』を経験したことがある(2008.1.30のブログ伊勢.鳥羽その3を参照)。 御内垣参拝をする前に、『内宮神楽殿』でお祓いを受け、身を清める。巫女が、笙.笛.太鼓の音色に満たされた神楽殿本殿に案内する。紫、白、黒、朱など色鮮やかな装束の神楽舞が奉奏され、御饌の奉奠など御祈祷が始まる。 そうか、「神楽殿」のあの舞が「神楽歌=古様」といわれるものかと、自分勝手に合点したのだが、どうも「今様」の実感が沸かない。映画やTVドラマで見聞きしたことがある筈なのに...と思いながら、YouTubeで検索してみた。それが、あったのだ。 原作.宮尾登美子 NHK大河ドラマ『義経』で、鶴岡八幡宮社に詣でた源頼朝が静御前(石原さとみ)に、白拍子の舞を命じる場面である。静は、義経(滝沢秀明)を慕う歌「吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ恋しき」と舞を奉じ頼朝を激怒させた、といわれる場面である。 親鸞が謡ったものと同じ節回しかどうかは知らないが、「今様」というものの感じを捉えることができる。 改めて、その目で見てみると、同じNHK大河ドラマ「平清盛」のテーマ音楽の最後の部分や劇中などにも、今様が挿入されているのが分かる。 2012年 04月 24日
2010年1月29日のブログに「まるで3Dスクリーンでも見ているかのように、全ての登場人物が活き活きとして、読み応えのある“親鸞”であった」と、五木寛之著「親鸞 上.下」の読後感想がある。今回の「親鸞 激動編」についても、静と動の激しいせめぎ合いを存分に楽しませて頂いた。
浄土真宗の開祖.親鸞は9歳(忠範.ただのり)で得度(範宴.はんねん)し、比叡山で厳しい堂僧の自力修行を積むが限界を感じ、法然上人(ほうねん)の下で綽空(しゃくくう)として専修(せんじゅ)念仏に帰依(きえ)し、選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゆう)の写本を許された。綽空は善信という法名を与えられ、更に親鸞となって師.法然の道を一歩越えようとしていたが、念仏禁圧により越後に流罪となった。 以上が前回までのあらすじだが、今回の「親鸞 激動編 上」は、越後に流罪となった親鸞が「禿(とく)親鸞」と、わが身の呼び名を改め、恵信を伴って日本海の荒波打ち寄せる「直江の津」に身を寄せる。物語は、ここから始まる。 ![]() 「禿(とく)」という文字を見ると、即座に「禿げ頭」を連想してしまう自分がいて笑ってしまうのだが、「禿筆 かぶろふで=穂先のきれた筆」などに見られるように(三省堂大辞林)、禿(とく)というのは本来「すり切れる」という意味である。親鸞が「禿(とく)親鸞=愚禿親鸞」と称したのは、流罪となり「僧」と名乗れぬ己を戒める意味合いがあるのであろう。天台宗の開祖.伝教大師最澄も、自分自身の無能さを「愚の中の極愚、狂の中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄」と戒めたそうだ。 さて、法然上人から「選択本願念仏集」の写本を許され「南無阿弥陀仏」を一心に唱えれば、十悪五逆の人間でも、死後の世界で往生が叶えられる」と信じ、何の疑いも持たずに修行を積んできた親鸞。しかし、直江の津の村人たちが「念仏」を唱えるのは、「念仏で雨を降らせて欲しい、念仏で病を治して欲しい、念仏で貧乏な暮らしから救い出だして欲しい」など、極めて現実的.単純明快な期待であった。 現に、様々な動物を生贄に使う祈祷で、雨を降らせ、長雨を終わらせ、疫病から村人たちを救うという異様な法力を持ち、多くの民の支持を得ている外道院金剛の存在がある。外道院は自ら生き仏と称し、河原に一大勢力を築きいている。 親鸞は「現世の利得と死後の往生」という越すこと叶わぬ大絶壁にぶち当たり、ひたすら、法然上人の教えを愚直に説法するだけで、本当に世の中の人びとを救うことが出来るのであろうか、と、何ともいえぬ不安に苛まれる。親鸞の闇は深まるばかりであった。 ほどなく、親鸞は、命を賭して「越すこと叶わぬ大絶壁」と向き合うことになる。 ある夏、これまでに誰も経験したことがない日照りが続き、地面はひび割れ、田畑は枯れ果てて砂地の河原のようになり、餌のない山奥のオオカミたちが共食いを始める始末。 越後の国の守護代.戸倉兵衛は、盛大な法会を催し神仏に慈雨を祈る「大雨乞い」を行おうとしていた。祈祷の命令が親鸞に下る。「念仏は雨乞いや怨敵調伏(おんてきちょうぶく)の呪文に非ず」と、一旦は断った親鸞であったが...。 雨乞いの前夜、親鸞は決意のほどを「念仏で雨が降るわけがないが、すべての人が心からそれを願っている。私は、村人たちのその思いをだまって見過すことはできない。一意専心、念仏を唱え、総ての人の思いを一つに集めることができれば、その総意を天も聞き届けてくれることもある。念仏は、わが身ひとつの往生の道なのだ」と、自分に言い聞かせるように恵信に語った。 守護代.戸倉兵衛の威信をかけた雨乞いに失敗すれば、親鸞は、怒った人々の石打に会い、山犬の餌食となる。例え逃れても、台座を幾重にも取り囲む守護代の配下に捉えられ、処刑される運命にあるのだ。 その朝、親鸞はいつもの色褪せた黒衣姿で家をでた。外道院は「念仏で雨が降るか。馬鹿な男だ!」と笑い呆ける。 守護代配下の武士、僧侶、神官、役人、商人、そして雨を必死で待ち望む民.百姓たちで埋め尽くされた砂丘の台地、護摩壇も雨乞い本尊も無い白木の台座、真ん中に打ち立てられた帆柱から「帰命尽十方無礙光如来(きみょうじんじつむげこうにょらい)」という名号が書かれた白く長い幟が、吹き流しのように勢いよくなびいている。 親鸞は大きく息を吐き「なむあみだぶつ」と合掌した。法会.雨乞いがはじまったのだ。 「なむあみだぶつ」を唱え続け三日三晩が過ぎた頃、稲妻のような光が火の柱となって親鸞の体を貫く。「捨身」という言葉が閃く。雨を乞う念仏ではない、極楽往生を願う念仏でもない。自然に、体の奥底から溢れ出る念仏が続く。 しかし、真夏の太陽は、誠に無慈悲。大地を照らし続ける。 台座を取り囲む夥しい数の群衆。「飲まず食わずで四日目だ、そろそろ、あぶねえな、この天候じゃー雨はこねーよ」などと捨て台詞を吐きながら、ぞろぞろと帰り始める。 恵信の顔が白い蓮華のように脳裏に浮かぶ。「なむあみだぶつ」、親鸞は全身から力が抜けて空中に浮いたように感じ、意識が遠くなる。 雨乞い最終日、引き潮が満ち潮に変わるときのように、再び、何万人と言う群衆が台座のまわりを取り囲みはじめる。 台地に七日間の法会が終った合図の太鼓が鳴り響き、異様な静寂が台座を包む。 守護代戸倉兵衛が「法会は終わった。雨は降らぬ。ただちに偽坊主を捉え、石でこの男を打ち殺せ!」と号令を下す。しかし、群衆は無言。波が引いていくように台座から遠ざかっていく。 そのとき、天地が裂けるような大音響が起こった。誰かが「雷様だ!」と叫ぶ。急に風向きが変わり、天が裂けたかと思うような大粒の雨が、どおーっと落ちてきたのだ。 普段の生活を取り戻したある日、親鸞は、意識が身体から離れふわふわと空中に浮いた感覚に包まれながら命を賭して念仏を唱え続けた七日間を振り返り「私が雨を降らせたのではない」と、恵信に呟いた。 果たして親鸞は、法然上人が説いた「念仏」の大本に、確りと自分の両足で立つことができるのであろうか。 親鸞 激動編(下)に続く。 2012年 04月 20日
庭の「ノースポール」の蕾が膨らみ始めた。
何年か前に息子夫婦が鉢植したものを贈ってくれたものなのだが、マーガレットより少し小さめの可憐な白い花がびっしりと広がって咲き、けっこう長い期間楽しめる花である。 ![]() 北極を意味するノースポール(North-pole)と言う名は、どこまでも続く氷原を連想しての名であろうか。 蕾の中に、一輪だけ、紅色のノースポールが咲いている。 ひょいと顔を出してみたものの、目にするものは蕾だけの世界。一瞬「ちょっと早すぎたかなー」と逡巡し、パッと全開することをためらったような花びらである。 それにしても、どうして色変わりのものが顔を出したのであろうか。「もともと根に秘めていた紅色の精が急に目覚めでもしたのかなー」などと思ってみたが、自然の営みは、誠に不思議なものである。 ![]() 鉢植した椿の根元にキランソウ(金襴草)が咲いた。 奥三河の蓬莱湖の水源に小さな杉山をもっているのだが、家族で、おにぎりなどを持って出かけた折に山道で出会ったものだが、見事な紫の園を作ってくれた。 ![]() 野草図鑑によれば、キランソウはシソ科だそうだ。そういえば、蕾が咲き始める頃の花びらは、シソの花にそっくりである。キランソウは「地獄の釜の蓋」という恐ろしげな俗名もあるようで、咳止めや下痢止め、腫物や虫さされに薬効のある漢方薬だそうだ。 2012年 04月 17日
ケーキの頒布会、今月は「紅茶風味のフルーツショート」。いちごやパイナップル、キウィやピーチなど、色鮮やかなフルーツを配したケーキであった。
![]() ナイフで切り分けると、豊かな紅茶(アールグレイ)の風味が広がり、口の中でフルーツと溶け合う。なんともいえぬ美味しいケーキであった。 配送日がちょうど家を留守にするのと重なるというので、3月分はキャンセルしたのだが、2月の「苺のショコラボンブ」も印象深いものであった。 ![]() 甘酸っぱい苺と濃厚なチョコレートを組み合わせたケーキ。異様な感じがするドームは、たっぷりとしたチョコレートクリームのスポンジ、そして、フランボワーズ果汁を加えた果肉感あふれる苺ムースが幾重にも塗り込められている。 届けられた日がバレンタインデー(老夫婦には全く関係はありませ)で、「ベルギーチョコのクグロフ」も送られてきた。 ![]() リボンクラブのHPによると、ベルギー産高級チョコレートをたっぷりと使った重厚な味わいのチョコレートケーキで、北海道産のフレッシュバターを使った生地に、チョコレートとチョコチップを合わせて型に流し込み、焼き上げた「クグロフ.オ.ショコラ」だという。 干し葡萄やアーモンドを使ったクグロフ(仏語:kouglof)は、ゲヴルツトラミネール(Gewurztraminer)などの魅惑溢れる白ワインを産するエリア、ライン河を挟んでドイツと国境を接するフランス.アルザス地方の伝統菓子だそうだ。 賞味期限(常温)が長いので、あわてて食べ終える必要はない。ティータイムには持って来いの上等なケーキである。
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