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2017年 07月 21日
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」、方丈記の書き出しであるが、民主政が成熟期の頂点に達した古代ギリシアも所詮波間に浮かぶ泡沫、合体したり消えたりして、元の姿を留めることなく、茫洋とした大海へと流されていく。
紀元前464年、市民(兵役担当)、ペリオイコイ(手工業・商業者)、ヘロット(農奴)の三階級から成るスパルタに巨大地震が襲い、鎌や斧を手にしたヘロットとペリオイコイが首都に迫り、スパルタ国内が騒然となる。 スパルタからの援軍要請に応じたキモン(新穏健派領袖)は派兵に応じたが、鎮圧手段についてスパルタと対立、役割を果たせぬまま帰国したキモンにアテネ市民の怒りが爆発、市民集会で陶片追放される。 寡頭政のスパルタ、専制君主制のペルシアと対峙する民主政のアテネは混迷を深めていたが、アテネに一時の安定を齎したのは稀にみる話術・説得力に長けたペリクレスであった。 彼はスパルタと5年間の休戦協定を結び、キモンの姉を妻とするカリアスを派遣したペルシアとの講和交渉で相互不可侵条約を締結、それによって、戦争を避けながら民主政の発展を実現し、ペルシア戦役で得たデロス同盟(エーゲ海に面する都市国家や島が、共同して防衛に当たる目的で設立された)をより強固な体制にして、エーゲ海の制海権を堅持していく基礎を固めたのである。 しかし、ペルシアの威嚇が遠のいた途端、デロス同盟参加国の間に「分担金を支払ってまで加入する必要があるか?」という空気が流れ始め脱退する国が出始めた。 特に、アテネ・スパルタ間の休戦条約が切れる5年目を迎えに及び、ピレウス入港禁止の制裁措置が課せられていたアテネ西隣のメガラが脱退を表明、怒ったアテネが制裁に出るが、メガラはスパルタに派兵を求める事態となる。 スパルタ軍の派兵は途中で頓挫、メガラに対する憎悪が煮えたぎるアテネは想像を絶する仕打で撃ち返したが、この空前絶後のやり方に、ギリシア都市国家から轟々たる非難を浴びる結果となった。 アテネと因縁の国・コリントの要請で「ギリシアの今後の平和を検討する会議」がスパルタで開かれペリクレスが被告席に立った、が、“稀にみる話術・説得力に長けたペリクレス”は見事に「スパルタ主宰のペロポネソス同盟はエーゲ海におけるアテネの覇権を認める」という共同コミュニケを引き出し、参加国間に広がり始めたデロス同盟に対する疑心暗鬼も霧散、これを機に、「軍事同盟+経済同盟+人材交流同盟」という理想のデロス同盟に脱皮、その後42年間もの歳月を同盟の盟主として乗り切って行くのである。 しかし、戦争は辺境から起こるもの、エーゲ海世界の後進地帯・マケドニア王国の南に広がるカルキデア地方のポティダイアという港湾都市国家に「デロス同盟の分担金を払うのは怪しからん」という気運が出始め同盟離脱の動きに発展。反アテネのマケドニア王国の後押しを得たポティダイアはコリントに「共同作戦」を持ちかけ、コリントは2000の傭兵軍派兵に動く。 ペリクレスも重装歩兵3000人を乗せた40隻の三段ガレー艦船団でポティダイアに向かう、が、カルキデア地方は起伏に富む地勢、ゲリラ戦でポティダイア側有利の情報が伝わると、メガラがデロス同盟を脱退しペロポネソス同盟に加入、怒ったアテネはコリント同様にメガラ船籍のピレウス寄港を禁止、交易断絶を通告。この処置にスパルタは「アテネをこの儘にして置けない」との気持を強める。 アテネとスパルタの睨み合が続く中、テーベが10キロ南の都市国家・アテネの盟友プラタイアに攻め込む、が、プラタイア市民の反撃で捕虜としたテーベ軍全員を虐殺、これに怒ったテーベはスパルタにペロポネソス連合軍の出動を要求した。 スパルタはアテネとの「30年の平和」を一方的に破棄、スパルタ王・アルキダモスは重装歩兵34、000、騎兵1、000を率いアテネに攻め込む。いよいよ「アテネの命運も尽きるか」と思われた「ペロポネソス戦役」も双方の思惑が絡み合い、だらだらと、27年の歳月を費やすことになる。 紀元前430年、アテネに猛烈な「疫病(腸チフス)」が蔓延し、ペリクレスも疫病に侵され、紀元前429年秋、66歳の生涯を終えた。その2年後、スパルタ王・アルキダモスもこの世を去ったのである。 ギリシア文化が頂点に達した時代と評されるペリクレスの時代が終焉、デモクラッィア(民主政治)主導からデマゴジア(衆愚政治)跋扈へと大きく潮目が変わっていく。 扇動家クレオン等の言動に操られたアテネでは捕虜の大量殺戮などが行われ、これまでアテネ人の本質と讃えられてきた『良識』が、急速にギリシア世界から失われ、アテネの国力が削がれていく。 国力が削がれ始めたペリクレス亡き後のアテネは、盟友プラタイアからの援軍要請を先延ばし、その為に、プラタイアはペロポネソス連合軍の包囲戦に陥落した。この出来事は「アテネはいざと言う時になっても助けてくれない」という印象を同盟国に与える結果となった。 「二度あることは三度ある」という諺があるが、都市国家アテネも「悪い事が重なっていく」時代を迎えたようだ。 次回をお楽しみに。
by c-bridge
| 2017-07-21 16:27
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