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2017年 09月 29日
今月11日から市役所による裏山法面の補強工事が始まった。改めて、のらりくらりとなかなか煮え立たない市役所を相手に20年という歳月が過ぎたのかと思うと、感慨無量である。
子供たちのためにも、これまでの経緯の概要を記録に残しておこうと思う。 昭和51年(1976年)に着工した「鉄骨鉄筋二階建」の我が家、「個人の家を鉄筋で建てるなんて珍しいね」とご近所の関心を呼んでいたようだが、当「鹿島団地」は蒲郡市が造成した住宅団地である。預貯金は皆無、くそ度胸というよりは若さ故の恐いもの知らずの夫婦が市役所と「宅地譲渡契約」を結んだのは昭和37年(1962年)12月、まずは、ここに木造平屋建の小さな小さなウサギ小屋のような家を建て、キッコーマンに入社する事になる昭和44年(1969年)3月まで、娘と親子三人がこじんまりと暮らしていた。この土地こそが、我が家族の原点となる場所なのである。 定年退職を迎えるまでの間、この団地には色々な変化があった。 まばらであった戸建ての家もあちらこちらと建ち始め、家の裏山を囲むように造成された分譲地にも、1組と2組に分けられるようになるほど(自分の家は2組)家々が立ち並び、大勢の学童で賑わう住宅地となっていった。 自分たちが東京・武蔵小金井や千葉・市川の社宅で暮らしていた頃、台風が齎した豪雨が数日間も続き、1組の前の法面が崩れて道路を塞ぎ、家々のブロック塀に被害がでるという事件が発生した。 当然の事ながら市役所による事後対応が行われ、土砂崩れを起こした時の斜面の勾配よりも緩やかな傾斜としたのだが、それは1組の前の法面だけ、2組は“置いてけぼり”を食う結果となったのである。 定年まで住んでいた松戸ハイムの社宅を引き払い、鹿島の“終の棲家”に移り住み始めた頃、「ポトン、ポトン」と何かが家に当たる音がし始めた。なんだろうと外に出て見ると、驚いたことに、犯人は「ドングリ坊や」、法面と山地の境にある太いナラかカシワの樹から落果して「ポトン、ポトン」と可愛らしい音を立てていたのである。 数えてみるとドングリ坊やの大樹は5本もあり、二階ベランダ上まで太枝が伸びてきている。 “ポトン、ポトン”は良いにしても、1組の土砂崩れの事もあり、風か雨で大樹が倒れでもすると大事になる。市役所に「一度、見に来てほしいのですが」と電話、翌日、担当主任が来てくれたのだが「役所の管理地内にある樹ですね、危険物ということで伐採しましょう」と即応してくれたのである。即断即決してくれたこの係長のような方はこれが最初で最後、それ以降は「のらりくらり主任」に悩まされ続けて、20年が経つのである。 この団地は、元々“みかん山”であった裏山を宅地に造成したもので法面は市役所の管理下、法面を越えたその先は個人の持ち山、みかん畑の名残であろうか、やや平らな区画が2つ続いていて、その地続きの先に尼寺がある。 尼寺の檀家さんの中に鹿島町きっての名家と言われる方が居て、寺に隣接する区画を自費で整地「檀家の人たちのお墓にして欲しい」と言って寺に寄進したのだ。1組、2組の人たちには何の知らせも無かったのだが、ある日、檀家総代と鹿島町総代が音頭を取りお墓造成の最終決定の寄り合いが開かれるという話が伝わってきたのである。 頭の上にお墓が出来てお線香の臭いが流れてきたり、我々の家屋敷を覗かれたりしては「嫌だ!」と誰しも思うのだが、当初から住み続けている人の中で「よしっ!」と腰を上げようとする方があろうはずもなく、自分が「やらねば!」と一念発起したのである。 早速、妻と図書館に出向きお墓に関する法律関係を調べ「新しくお墓を造る場合は、隣接住民の賛同が必要」という一項のあることを知り、その足で保険所に向かい「隣接住民の賛同」についての詳しい話を聞かせて貰ったのである。 墓所造成反対の趣意書を作成し、利害関係がある1組、2組のお宅を一軒一軒訪問し、趣意書の説明に当たって各戸の賛同を取り付け、団地の常会長宅を訪ね「当該住民の代表として最終の寄り合いに参加し、当該住民の考えを申し述べたい」旨を陳情、即座に聞き入れられ、寺の本堂で開かれている寄り合いの場に臨んだのである。 申し入れの内容は割愛するが、鹿島町総代が「隣接住民が総反対しているこの事案を進める事は不可能」と判断、後日、団地の常会長から「お墓の件はご破算になった」という連絡を受けたのである。尼寺には悪いことしたと思うが、当時のお墓予定地は、現在、広々とした駐車場になっている。 お墓の件が一件落着した年の秋口、活発な秋雨前線の影響で豪雨が降り止まず、1組の事件に比べれば小さな規模であったが、隣の家の法面から落石があり、外壁を損傷するという事件が起こったのだ。 当然ながら事後処理が行われ、落石防止柵が構築されたのだが、この防止柵は外壁損傷を被った隣の家だけなのだ。おかげさまで自分の家の裏山は、これまで、何の問題も起こらなかったのだが、豪雨に対する裏山の条件は隣と同じ、役所仕事とはいえ「いくら何でもひどいじゃないですか!」と、この時点から、自分と市役所との長年にわたる“根競べ”が始まったのであった。 11日に始まった法面工事は佳境に入り、鬱蒼としていた斜面の雑草は綺麗に除草され、大小の雑木も伐採され、長年見慣れた風景が一変した。 写真は、夏休みで子供たちが帰省する少し前、一輪だけ咲いたササユリである。本来ならば徐々に地下球根が増殖し、来年あたりは5,6本の可憐なササユリを楽しめたものを、もはや、丸坊主となった裏山では致し方ない。 人は誰でも、姿を消し去るモノに対し「手の中に留めておきたい」というような情念に悩まされるものだが、夜を楽しませてくれた虫たちとは、来年の秋、再会できるのであろうか。 いやいや、安全安心が第一、法面工事の完成を確りと見守らなければならない。 次回は、市役所との生々しい交渉過程の概要を“経緯その2”として、記しておこうと思う。
by c-bridge
| 2017-09-29 17:40
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