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ビジネスサポート・ コミュニケーションブリッジ 代表 石井 吉治 yosiharu(あっと)mis.ne.jp >> WEBサイト ★☆ブログ更新予定☆★ 業務日誌 :月~金曜日 (祝日を除く) 企画の勘所 :日曜日 最新のトラックバック
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2024年 03月 08日
得意先が多岐にわたっていた現役時代は慶事の案内状を頂くこともあったが圧倒的に多かったのは訃報の知らせで、礼服と喪服は営業職の必需品であった。築地本願寺や川崎市の曹洞宗大本山總持寺には数え切れないほど行ったものだが、日本三景の一つ「天橋立」近くの斎場まで出かけたこともあったのだが、鹿島の家に引っ込んでからは慶弔いずれにもご縁が無くなって、礼服・喪服は洋箪笥に吊るしっぱなしになってしまっていた。
確か5年ほど前であったと思うが、ご近所の葬儀に参列するのに久しぶりにワイシャツを着て黒ネクタイを閉め、お腹周りが気になってはいたが、難なく喪服を着る事ができた、のだが・・・ 来年の事を話すと「鬼が笑う」と言われるが、三、四日前に「晩酌のおかずにして」と言って鮮魚店魚仙のとびっきり上等なお刺身を持って来てくれた十歳年下の義弟が急逝した事は「一寸先は闇」と言うことわざが現実のものとなってしまったのである。 義弟の訃報を受けた自分はお悔やみの言葉や慰めの言葉を掛ける事もできなかったが、呆然とする妻と「刺身を持って来たばっかりなのに・・・」と信じられない気持ちでいっぱいであった。 妻から連絡を受けた娘が「お母さんが心配だから」とその日の夜遅くに帰って来てくれ、もたもたする父親をてきぱきと助けてくれたのであった。 ぼーっとしている自分に娘が「お父さん、通夜は明後日だよ、礼服の用意をしなければ!」と気合を入れられて我に返ったのだが「ブラシを掛けたから履いてみて、ちゃんと入るかな?」と心配顔の娘に「なーに大丈夫だよ、5年前にも着ているからね、お父さんの体重は75㎏+-2㎏が基準だけれど今は基準値内に収まっているし」と平気の平左でズボンを着始めたのだが、何と、お腹周りに引っかかってファスナーが閉まらないではないか。 体重の基準値とウエスト太りは無関係であるらしい。 愕然としている自分に娘が「お父さん、夏用の喪服を着てみて!」と着衣を手伝ってくれるのだが、このウエストも「お腹周り」を超えること能わず、一時、「洋服の青山で・・・」と慌てかけたのだが、再び娘が「お父さん、これどうかしらね」と持ってきたのが濃紺のダブルスーツ、定年まで三、四年を残した佳日に日本橋丸善で仕立てたもので、74歳まで続けた研修に着用して来たビジネススーツなのだ。 「今度はどうだ?」とお腹周りを気にしながら履いてみると、難なく?入るではないか。 娘の優しさと機転に救われた五年越しの喪服の一件であったが、黒の革靴も黒のスニーカーに換えてのお通夜と告別式の二日間であった。 #
by c-bridge
| 2024-03-08 17:34
| わが日常
2024年 03月 01日
3月中旬頃になると「ニョキッ」と顔を出し始める裏山のタケノコが気になり出し、キョロキョロと土手や山肌に眼を遣りながらの散歩となるのだが、裏山の「タケノコ蹴り倒し」は何年続いたのであろうか。
二十数年間履き続けた「タケノコ蹴り倒し」で履き続けてきた長靴が、見るも無残な傷だらけのぼろぼろの状態となり「もう履く事も無いから」とクリーンセンター行が決まっていたのだが、家の空き地に遠慮会釈もなく降り注ぐ枯れ葉製造機のような樹木を「俺が切ってやるよ」と言ってくれた酔拳(家の総てのリフォームをやってくれた大工さん)の下手間として人生最後の山登りを決行することになったのだが・・・。 物置からクリーンセンター行が決まっている黒いゴム長靴を出しては見たものの「履いて履けない事は無いが・・・」と思案してみたが「すげーの履いているじゃん」と酔拳に笑われること必定、この先、長靴を履く事はまず無いと思いながら「どうしようか?」と躊躇していたが「万が一の災害に見舞われなという保証はない」と購入を決断したのであった。 近くのホームセンターで見てみると、昔風の黒いゴム長靴は隅に追いやられ、機能別品質別の長靴が、ずらーりと並んでいる。 厚底で膝下まであるLLサイズを買ったのだが、酔拳の下手間を果たすに十分な長靴であった。 最近、手の甲に内出血が出来ている事がしばしばあり「おかしいな、何かにぶつけたのかな?」と不思議に思う事が良くあるが、加齢のせいだと思うが、枝払いなどの庭仕事の折に小枝で突くことがあるようで、今回の下手間用に「内出血回避用?作業用手袋」も買っておいたのだが、あまたの枯れ葉を降らせる樹木の伐採は、何事も無く終わったのである。 #
by c-bridge
| 2024-03-01 16:01
| わが日常
2024年 02月 16日
令和5年分の確定申告を始めた(e-tax)途端、真っ赤な△の注意マークが表示され、大きな太文字で「確定申告の必要がありません」の表示にびっくり、政府広報オンラインで調べて見ると「年金受給者の申告手続の負担を減らすため、公的年金等に係る確定申告不要制度が設けられ、これにより、公的年金等による収入が400万円以下で公的年金以外の所得金額が20万円以下である方の所得税の確定申告を行う必要がない」ということであった。
思えば、1月の半ば頃に郵送されてくる分厚い確定申告用紙を手にすると一種特有な「いやーな気分」になるのが常であったが、定年から28年間も続けて来た確定申告が国から「もう、その必要はありません」と言われてみると「やっと解放されたのか」とほっとする気持ちの一方で一抹の淋しさを感じるのだが、これは、大方の定年退職者の偽らざる思いではないだろうか。 公的年金の他に研修に関わる所得があった頃の確定申告は、自分にとって、大変な時間と労力を要する難行であった。 研修関係のクライアントから次々と届く「源泉徴収票」を点検し研修に要された年間の交通費や宿泊費を一表にまとめなど事前準備も大変であったが、難解な税務用語を理解しながら計算と記入を繰り返す作業は今考えても「ぞーっ」とするが、それ以上に嫌で嫌でしょうがなかったのは、自営業者や年金受給者でごった返す申告会場の淀んだ空気と長時間待たされる税務担当者の点検であった。 2003年(平成16年)に自動計算システムe-Taxの運用が始まり、16桁の利用者識別番号と13桁の暗証番号を取得してオンライン申請が出来るようになったが、数年後、マイナンバーカードをICカードリーダ/ライターに装着してPCに繋ぎ4桁の暗証番号を入力するとマイナポータルで公的身分が証明され、国税庁ホームページの「確定申告書等作成コーナー」からオンラインで簡単に申告が出来るようになったのが2019年(平成31年)1月からであった。 研修等の営業収入とは無縁となった現在は公的年金額を所得の欄に、市民県民税や社会保険料等を所得から差し引かれる欄に入力するだけで「申告内容確認票」が整い、「電子証明書暗証番号」を入力して所轄の税務署に送信すると、確定申告が完了する。 紙ベース時代から見ると天と地の差があり「楽になったものだなー」とほっとしていた矢先の「確定申告不要」のお告げであったのだ。 もはや味わう事のない「いやーな気分」や「淀んだ空気」などは既に過去の遺物となったわけだが、「歳相応な健康に恵まれて迎えた89歳の一里塚であったのかも知れない」などと懐かしく思えてくる。 誠に、不思議なものである。 #
by c-bridge
| 2024-02-16 17:39
| わが日常
2024年 02月 09日
裏山から降り落ちる枯れ葉の量が見過ごせなくなり以前に知った山の持ち主の電話番号に掛けてみると「この電話は現在使われていません」とガイダンスが流れるのみで「90歳だと言っていたおばあさん、亡くなられたんだなー」と諦めかけたのだが「そうだ、庵主さんに聞けば分かるかもしれない」と思い立ち裏山の一角に建つ源光寺に出掛けてみた。
三河湾を一望できる源光寺は曹洞宗の大本山永平寺の末寺であるが、いつもは閑散としている駐車場が今日は満車、「法要でもあるのかな?」と思いながら境内に向かうと、本堂は大勢の檀家さんで賑わっている。 お賽銭をあげて礼拝を済ませていると顔見知りのお世話役の方が「4時から節分の法要が始まりますから石井さんもどうですか?豆まきもありますから」と親切に勧めてくれたのだが「いやー、庵主さんに・・山の持ち主の電話番号を・・・」と話している所に庵主さんが来てくれ、要件を話すと「娘さんの電話番号があるかもしれない。少し待ってくださいね」と庫裏に入って行った。 「庵主さん、忙しいのに申し開けないな」と思いながら待っている間にも何組もの老夫婦が本堂に上がって行くのだが、その中に、杖を持ったおばあさんが居て「おやっ!」と目を疑ったが、何と、お元気な頃にはよくお茶をしに来てくれた老夫婦であった。 おじいさんに手を引かれながら境内まで上がって来たおばあさんに「坂道、大変だったでしょう?」とねぎらってみたのだが“近所の石井さん”だと気付いてくれそうもない。ご主人が「豆撒きに来てくれと電話がきたものだから」とかばってくれたのだが、これまでだと、散歩の途中で顔を合わせると会長さん(と、我が家では呼んでいる)の方から「あんた何年生まれ?どのくらい歩くの?あんた、偉いねっ!」と矢継ぎ早に質問を受けるのが常なのに「変だなー」と訝りながら這うようにして本堂の階段を上がる姿を見ていて、憐れみの念を禁じ得なかったのである。 庵主さんから電話番号を記したメモと福豆を頂いて家に帰ってきて会長さんの様子を妻に話すと「まあーそんなだったの・・・家に来たのはいつごろだったかね・・・あの頃から大分進んでしまったんだね・・・それにしても、お寺で、あんちゃん(と、我が家では呼んでいる)と会長さんに会うなんてね・・・」と、しんみりと語り合ったのである。 その日の夕食、庵主さんに頂いてきた福豆を晩酌の箸休めにポリポリやりながら、新小金井でも市川でも、岡山でも松戸でも、妻が炒った大豆を手づかみにして、隣り近所に丸聞こえするような大声で「福は内・・鬼は外、福は内・・鬼は外」と雄叫びながら豆をまき、はしゃぎながら拾い集める子供たちに「齢の数だけ食べると、風邪をひかないよ」と言い聞かせた事などを、久しぶりに思い出した。 鹿島の家に来てからは、「取りに来れる?」と電話が入ると妻の幼な友達が経営する駅前通りの喫茶店に出掛けるのであったが、「お代はいいわよ」と手渡されるのは、彩り豊かな金平糖や落雁が入った東京・銀座「あけぼの」の福豆、「毎年、頂いたものだったなー」と懐かしく思い出すのであった。 これが仏縁と言うものなのであろうか。 思い立って電話番号を聞きに行った源光寺で、何年かぶりで“あんちゃんと会長さん”に出会い、庵主さんから頂いた福豆で若き父親であった頃の我が家の豆まきを思い出し、鹿島の家で本格的なお点前を見せてくれた幼友達の福豆などを思い浮かべた立春の日の出来事であった。 #
by c-bridge
| 2024-02-09 17:38
| わが日常
2024年 02月 02日
この冬最高の冷え込みを記録した先週25日の朝は運悪く生ごみの日、首にマフラーを巻き込みダウンの襟を立て、足元を確かめながら、うっすらと残る雪道をゴミステーションに急いだのだが、この寒さに尻込みする方が多かったのか持ち込まれていたごみ袋はいつもの半分以下であった。
唸るよう轟音の北風を背を丸めて避けながら「ひえー寒い」と玄関の階段に差し掛かると、 ガレージの雨水口にピカピカ光る「つらら」が目に留まりか細い氷の柱?に目を凝らしていたが「池などに薄氷が張るのは見た事はあるが・・・“つらら”は初めてだなー」と ふる里の冬景色を思い浮かべていた。 気温が零下15度近くまで下がる厳寒の頃になると、夕張岳から吹き下ろす北風が運ぶ粉雪がひと晩のうちに膝上まで降り積もると言う豪雪地帯で育った子供の頃、暮らしの身近にあった「つらら」には色々な思い出がある。 石炭ストーブで部屋の温度が上がってくるとトタン屋根に接した雪面が融け始めて滴り落ちる雫が冷気に晒されて凍るのが氷柱“つらら”だが、寒明けが近づいて寒暖の差が大きくなると、軒先の隣同士の“つらら”が連なり刻一刻と巨大化して氷の柱ではなく「氷の座布団」のようになる。それが一定の大きさを超えると、自重に耐えかねて「バサッ、ドッスンー!」と軒下に落ちてくる。 分厚い氷の塊は遊びの天才・子供たちの「天然のソリ」に早変わり、丸い形の桟俵(さんだわら=米俵両端の蓋)を敷いて坂道を滑り下りる爽快さは冬の遊びの最高の楽しみであった。 家路に急ぐ学校帰りの雪の山道にも“つらら”遊びがあった。 山を削って馬車や人が通れるようにした切通しの通学路、道路に突き出した雪庇の先端から複雑な形をした“つらら”が数え切れないほど連なり、その中から「かんざし」を思わせる形の“つらら”を探し出すのだが、夢中になった学童たちは「これもだめ、あれもだめ」と言いながら、道草を楽しんだものであった。 しかし、「かんざし」など見た事も無い筈なのに、どうして「それ」を思わせる形の“つらら”探しに夢中になったのであろうか。いくら考えても分からない事の一であるが、キラキラ光るお姫様の“つらら”を口に入れ、喉の渇きを潤したことだけは鮮明に覚えているのだが・・・。 他にも“つらら”の思い出は沢山あるのだが、最後に一つだけ挙げるとすれば、それは「イタヤの蜜取り」であろうか。 寒さが和らぎはじめるのが2月の後半から3月にかけてだが、日中に融けはじめたふわふわ雪が夜間の冷え込みで雪面が凍って硬くなるのだが、この「日中融けて夜間硬くなる」という昼夜を繰り返していると、身の丈ほどあった積雪が徐々に圧縮されて硬くなり、雪の上を歩く事ができるようになる。 自然の恵み「イタヤの蜜取り」の季節が到来したのだ。 イタヤの蜜取りに必要な神器は、樹液を受け入れる「一升瓶」とイタヤの木の幹に直径1センチ・深さ3センチほどの穴を開ける「穴開けドリル」だが、これらを携えて、硬くなった雪面を踏みしめながらお目当ての裏山に上って行く。 ドリルでイタヤカエデ(板屋楓)の幹に穴を開け樹液がじわーっと沁み出てくるのを確かめ、小枝を使って樹液が間違いなく一升瓶に入るように工夫し、雪で土台を作って瓶が倒れないようにする。 樹液は二昼夜くらいで一升瓶を満たすのだが、何よりの楽しみは、樹液の“つらら”を口に放り込み、久しぶりの甘露を心行くまで味わうことであった。 樹液を煮詰めるとカナダのメープルシロップに劣らない「イタヤの蜜」となるのだが、砂糖が手に入らない戦中戦後、天与の「イタヤの蜜取り」は冬の楽しみ以上に、自分がやらねばならない冬の終わりの仕事なのであった。 この日の朝の冷え込みは陽が高くなるにしたがってゆるみ、ガレージの“つらら”は跡形も無く消え、三河湾の景色も暖色に変わって行った。 #
by c-bridge
| 2024-02-02 17:56
| わが日常
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