岩見沢の兄夫婦が「なつかしいべさー」といって『谷田のきびだんご』を送ってくれた。
隣町(夕張郡.栗山町)に本社工場を構える谷田製菓の工場見学に行った折りに、売店で買ってきたのだそうだ。
創業(大正12年)の頃は、北海道開拓の志を商品名に込めて『起備団合』としていたそうだが、当時は非常食として売り出されたという。
戦中戦後の北海道は超食糧難の時代であったが、当時食べ盛りを迎えていた我々子供たちには辛い辛いおなかペコペコの時代であった。
甘いものといえば秋に採れる山葡萄かこくわの実(あけびのような果実)、冬に採取するイタヤの蜜(メープルシロップのようなもの)』であった。
砂糖が手に入らない時代であったが、母がどこから都合してきたのか、白砂糖を食べさせてくれたことがある。
丼に片栗粉を入れ水で溶く。それをかき混ぜながらストーブの上で煮えたぎっている熱湯を少しずつ注ぐ。すると白く濁っていた片栗粉の溶液がだんだんに固まってきて透き通った状態になる。
その上に『白砂糖』をタップりとのせてくれる。「さあ、食べろ!」という母の言葉もそこそこにかぶりつく。
美味しかった!こんなに旨いものはないと子供心に感激したものであった。
この当時の唯一のお菓子らしいものが『谷田のきびだんご』であった。しかし、兄の送ってくれたものを食べて「美味しいと思っていたけれど、こんなものだったかなー」と、口の中でねちゃつくものをお茶で流し込んだ。
北海道のお菓子なのに『桃太郎』の絵が出てくるのはお愛嬌か?
やはり桃太郎は岡山だ。
廣榮堂本店の『吉備団子』はなかなか旨い。