豪雨による大きな災害を齎した梅雨が明ける。1分の隙も無く立ち込めていた暗雲が裂けて、だんだんと青空が広がってくる。なんと気持ちの良いことであろうか。
雨季で一番困るのは散歩が自由にできないことだ。止むを得ず雨間を見て出掛けることになるのだが、天候で左右される散歩はやはり不自由極まりない。
久しぶりに拾石川に出てみると、雨水をタップリと含んだ川原の草むらではキリギリスが鳴き始め、濃い緑を増した稲田にはトンボが気持ち良さそうに舞っている。今年はオニヤンマを良く見かける年だ。
妻の茶飲み友達が「セミが鳴き始めましたね!」といっていたようだが、梅雨が明ける頃は我が家の庭も賑やかになることであろう。
朝、徒手体操をしながら何気なく柿の葉を見ると、何か黒ずんだものが見えた。手にとってみると、蝉の抜け殻であった。
柿の新葉にしがみつきようやく羽化したであろうセミの姿を追ってみたが、見つからなかった。柿の隣の木瓜の葉にも幾つかの殻があり、つい最近羽化して巣立ったに違いない。裏の里山を根城にするヒヨドリが、羽化したばかりのセミを狙い打ちして食べてしまうのが気にかかるのだが、自然の営みには逆らえない。
ついこの前まで7時20分くらいであった日の入りが、気がつけばいつの間にか7時7分くらいになっている。この季節から少しずつ日の入りや日の出の時間が変化して、夏の終わり頃には“つるべ落とし”のように、あっという間に日没が早まる。
”正調.ウグイス”がまだまだ健在でアジサイが徐々に終わっていくこの季節は、晩春の名残を少し残しながら、梅雨と夏が交ざり合う季節だ。
昆虫たちも一挙して宴を楽しむ季節である。
ご近所の方から「いま畑から採ってきたの!」といって見事な茄子や胡瓜やトマトを頂いた。「苗や種まきから始まって草取りしたり、水遣りをしたり大変だと思うけれど、収穫するときは嬉しいものでね」と言っていたが、そのとおりだと思った。
ニギス&野菜の天麩羅がメーンデッシュの夕食であったが、ロワールの白ワインが事のほか心地よい梅雨明けの日の晩餐であった。