義弟夫婦が“ハゼの洗い(刺身)”を一皿持ってきてくれた。街の魚屋さんに頼んでおいたものらしい。
聞くところに拠れば、ハゼの“洗い”を造ることは簡単ではないようだ。まず活魚でなければ“洗い”にすることはできない。6,7センチくらいのハゼを三枚に卸しながら内臓を取り除き、間髪入れずに氷水に放す。その瞬間、身がキュッと締まって味が凝縮した“洗い”が出来上がる。
事情があって酒の肴として堪能することができず残念であったが、新米のご飯で食した“洗い”は格別に美味しものであった。
ハゼの“洗い”を売り出す街の魚屋さんも少なくなってきているようだが、包丁さばきの技術は伝承していって欲しいものだ。
岡山にいた頃、子供たちを連れて「夕飯のおかずを釣りに行こう!」と、ハゼ釣りに行ったことがあった。最初で最後の海釣りとなったこの日の漁は、小さなハゼ一匹という悲惨なものであった。親父の面目は丸つぶれとなったが、今でも皆が集まると「父さんのハゼ」の話で爆笑が起こる。家族が一緒に暮らしていた当時にすんなりとタイムスリップできる話材としては、欠かせないもののようだ。
小学生の頃、隣のおじさん(縄野さんといったか?)に何度か川釣りに連れて行って貰ったことがある。電車に乗って岩見沢に近い志文や上志文で下り、線路沿いを歩いて目指す川(どこまでも続く真直ぐな道に沿った真直ぐな川だったので、田畑に水を引くための人口川であったと思う)に至るのだが、釣り竿や魚篭(ビク)を担いでおじさんの速度に合わせで歩くのは厳しいものであった。
体長10センチくらいの“ウグイ”を吊り上げるのだが、思うように釣れない時はおじさんが用意してきた網を川幅一杯に張り、ノルデック.ウオークのポールの如きスマートさには欠けるが、竹竿に鉄の薄い輪を2枚つけたものを川上の両岸から「ガチャガチャ、ガチャガチャ」と音を発てながら、泥鰌(どじょう)を網に追い立てるのだった。
家から遥か下に流れる谷川には“カジカ”が生息していた。
川底の石をそーっと持ち上げながら動かすと、彼らが「どうしたの?」とでも言うようにひょうきんな顔で構えている。頭は体長に比して平べったく大きい魚で、NHKみんなの体操の八頭身美人スタッフのお姉さんたちとは大違いだ。太い針金で作った鑢(ヤスリ)で突いて捕るのだが、見かけによらずとても味の濃い魚で、母は軒先に干しておいては出汁によく使っていた。
河川の改修などで生息環境が悪化し、清流にしか住めない彼らは絶滅危惧に指定されているようだ。
河川改修などの必要のない“家から遥か下に流れる谷川”は、子供の頃そのままの環境が保たれているであろう。“カジカ”たちは今でも、清流の石の下で五頭身を何ら恥じることなく、悠然と我が世を謳歌しているに違いない。