一頃の錦糸町(東京.墨田区)界隈は、どちらかといえば、東京中心部の再開発から取り残された辺境のようなエリアであったが、このところの発展は凄まじいものがあるようだ。世界一の高さ(634m)を誇る電波塔.東京スカイツリーを近くに見上げ、JR総武本線や東京メトロ半蔵門線の錦糸町駅を中心とした再開発の槌音は絶えない。
最近、このエリアにオープンしたビルの竣工披露パーティーで、お祝いに参じた客に手渡された引き出物が誠に小粋なもので、施主の豊かな感性と深い慈しみの心を感じさせてくれるものであった。
濃い紫に染め上げられた風呂敷に“江戸硝子しょうゆ差し”が包まれていたのだ。
墨田区では東京スカイツリーの開業(2012年春)に合わせ、産業や観光振興の観点から地域ブランド戦略を立ち上げているが、工房.HIROTA GLASSの廣田達朗氏もこれに賛同し、人々の共感を得られる商品として江戸硝子しょうゆ差しを開発したという。
“夏.朝顔”と銘々されたこの器を手に取ってみれば、職人の手で、一花一葉、丁寧にカットされた花切子が収まっていて、醤油を満たした時の切子が美しく映える様子が目に浮かぶ。
少し黄色味がかったこの器から蝋燭に点された炎のような仄かな温もりが伝わってくるのは、父や母と写っているものならば尚のことなのだが、薄茶色に変色した子供の頃のモノクロ写真が何とも言えない温もりを感じさせるのに良く似ている。
今年5月から10月まで開催された2010年上海万国博は、7、000万人を超えるという史上最大の入場者を記録して終わったが、日本産業館に出店したキッコーマンの料亭『紫 MURASAKI』も大繁盛であったと聞く。
この“紫”は、24色入れのクレヨン箱から目を瞑って適当な色を取り出しら、たまたま紫であった、というわけではない。
江戸の人口の増加と共に醤油文化は佳境に入ってくるのだが、当時一番好まれた醤油は濃口醤油であった。が、かなり高値の調味料であったようだ。また、紫という色は昔から高貴な色として認められていたし、高級品の証しとされていたことなどが結びつき、いつの頃からか、醤油のことを「紫」と呼ぶようになったと言い伝えられている。
我々が学生であった頃、古くから東京に住む人たちの間では、醤油のことを「紫」と呼ぶ人をよく見かけたものだ。
因みに、野田市にあるキッコーマンの中央研究所の前庭に、若山牧水が詠んだ「おのづから よろづの味のもとゝなる 亀甲万のむらさきぞ濃き」という歌碑がある。
この度オープンしたビルの施主は醸造業とは全く関係のない分野の方なのだが、星の数ほどあるであろう引き出物リストの中から、紫の風呂敷に包まれた“江戸硝子しょうゆ差し”が選ばれたということに、何か不思議なご縁を感じるのである。