近くに、庭で蕗など香りのある野菜を栽培しているという人がいる。元々は実家のご両親が趣味と実益を兼ねてやっていたのだそうだ。
何日か前に「採りたての蕗です」といって持ってきてくれた。
蕗は「灰汁出しや皮むきで大変」なのだが、食卓に盛り付けられた蕗はとても柔らかく、特有の香りと苦味が利いていて、酒の肴にはピッタり、である。蕗は店頭で年中見かけるようになってしまったが、たまに、「食べたいなー」と思うときがある。
子供の頃はよく蕗採りに出掛けたものだった。
いつもピカピカに磨き研いである父の鎌を借りていくのであったが、「脛(すね)に気を付けよ!」と言いながら手渡してくれるのが常であった。葉の下辺りの茎を手で握り押さえ、鎌を注意深く引きながら根元を切り落とさないと、勢い余って「脛を切るから」と、心配してくれたものであろう。
お目当ての沢を登っていくと、蕗が群生している場所がある。注意深く、根元から「スポン!スポン!」と切っていく。自分で背負えるだけの量を採り終えると、葉を落とし、一本一本長さを揃え、両端と真ん中の三か所を荒縄で括る。
二宮尊徳が薪を背にした像と同じように(読本を広げたことはないのだが)、山の恵みのズッシりとした重さを感じながら、沢を下りる。
母が大きな釜で蕗を茹で上げ、皮むきをする。母の傍でよく手伝ったものだが、灰汁で土色に染まった掌や指先には、蕗独特の深い香りが染み付いて、二、三日は臭いが消えない。
その日の夕飯から何日かは「蕗の煮つけ」や「蕗の味噌汁」が続くのだが、母は、残った蕗を塩漬けにして保存していたものであった。
学校帰りに俄か雨に会うと、道端の蕗が雨傘になった。葉を逆さまにしてかぶれば雨除けの帽子になり、葉を二枚重ねて組み合わせれば、立派な雨傘に早変わりしたものだ。
有名になった北海道の食材は数多くあるのだが、十勝.足寄(あしょろ)町の「ラワン蕗」も全国区になっているらしい。背丈が3メートル以上もあり、茎の直径が10センチにもなるそうだ。
螺湾川沿いに群生することからこの名がつけられたようだが、俄か雨から守ってくれた蕗は、どう見ても直径10センチはなかったと思う。
買い物の店頭で蕗を見かけると、たまには「食べたいなー」という気持ちにさせられるのだが、きっと、子供の頃の父や母に重なる蕗の記憶が、そうさせるのであろう。