置き場所にも困るほどの86ヶの夏みかん、早速、義弟に持たせたり息子に送ったり(夏みかんばかりを送るわけにはいかない!)したのだが、まだまだ黄色い山は高々とそびえている。
一年をかけ、春先には剪定を行い、夏には生い茂る雑草を取り、四季を通じて水遣りを欠かさずに育ててきた夏みかん、一個たりとも無駄にはできないのだ。これから暫くは、リンゴやグレープフルーツなどの果物は買い控え、デザートはもっぱら夏みかんと決め「黄色い山」を取り崩していかねばならない。
前回のブログの最後に「我が家の夏みかんは、適度な酸味と甘みが自慢で実にみずみずしく、砂糖なしでも美味しく食べられる」とあるが、実際に剥いて食べてみると「適度な酸味と甘みが自慢で....」という件は、決して誇張ではないということがよく分かる。
妻がマーマレードを作り始めた。
剥いた皮を一晩水に晒し、適量の砂糖を加えて加熱濃縮する。皮に含まれる水分が砂糖に置き換えられ、同じく皮に含まれる酸とペクチンがゼリー化を促す。最後に蜂蜜を加えて仕上げるのだが、本来のみかん色が艶のある飴色に変わる。
早速、出来立てのマーマレードを使ってみた。
新鮮でさわやかな酸味と甘み呈するマーマレードは、朝食のテーブルに良く似合うものだ。
日本ジャム工業組合のHPに「ジャムは旧石器時代から食されていた」とある。
手許のワイン史年表(ワイン教室などで使うために筆者がまとめた年表)に「スペインやアフリカの石器時代の洞窟には、蜂の巣から蜜を採る様子を描いた壁画が残されている」とあるが、更に同組合のHPに「蜂蜜採取の洞窟から果実を土器で煮た跡が見つかった。これは、果実を蜂蜜で煮たものと想像される」とある。
そうであるならば、ジャムは、人類の食の歴史の上で、加工.保存食品のはじまりを物語る輝かしい生い立ちを有することになる。
かんきつ類を砂糖で煮込むマーマレードは、ポルトガル語のMarmelo(かんきつ類の一種)を由来とするという説があるようだが、ヨーロッパの地で、18世紀ころから食卓にお目見えし始めたようだ。
理屈はどうあれ、我が家のマーマレードは天下一品である。