今は人気の高い幼稚園となって園児たちの黄色い声が絶えないが、子供たちが小さかったころ、このエリアはかなりの湿地帯でホタルが飛び交いススキや葦が生い茂っていた。ちょうど今頃の梅雨の季節になると、フランクフルトソーセージのような形をしたガマの穂が見事に林立し、一見の価値があったものだ。
ある事件以降「まだらコース」と名付けている散歩道があるのだが、団地を横切り山間の道を下り県道に出て坂道を登り詰めると、三河湾一帯が眼下に広がり、海風が通り抜け気持ちの良い眺めが満喫できる。そこから、すずなりになっているキーウィーを頭上に感じながら名鉄三河鹿島駅に向って下だっていく。
だらだら坂を下る途中に「売地」「まむし注意」と書かれた看板がある空き地があるのだが、ここにガマの穂が群生している。地形からして「湿地」に属する土地柄なのであろう。
梅雨に入る頃から青々とした柔らかそうなガマの茎が伸びてくる。2週間ほど前からグリコのポッキーのような可愛らしい穂がでてきて「フランクフルトソーセージになるのは、もう少し先になるなー」などと観察しながらの散歩であった。「今日あたりが頃合いか?」と、軍手と挟みを用意して出かけたのだが、思った通り、ガマの穂は立派な大人顔になっていた。一番見映えのするガマを3本頂戴して帰ったが、妻が「見事なガマの穂ね。うれしいわ!」と、庭のアジサイをあしらい備前焼の壺に活けてくれた。
翌日、前後して、ご近所の方が茶飲みに来てくれたのだが「珍しいですね、みごとなガマの穂ですね」と、しきりに感心していた。ガマの穂はこの辺りでも「珍しいもの」になってしまったのであろう。
ガマの穂は、大国主の命が、サメに毛をむしられた白兎の赤い肌を治すのに、ガマの穂綿を使って治したといわれるように、古くから傷口や火傷などの止血薬としてひろく使われていたようだ。今は、簡単な薬などはコンビニや近くのドラッグストアーなどでなんでも手に入ることができるのだが、昔は、身の回りに自生する草花を使って傷口などを治癒していたのであろう。
自分自身は全く記憶になくその痕跡もないのだが、よちよち歩きを始めた頃、着物の帯を鉄瓶にひっかけ熱湯を被ったことがあるそうだ。もちろん大やけど。母は、咄嗟の判断で大量のすりおろし大根を作り、患部を覆い、“オシメ”(おむつ)を包帯代わりに使い、三日三晩つききりで看病をしてくれたのである。特にひどい個所は「馬肉(熱を取る)」で覆ったという。おかげで、体のどこを見てもやけどの跡はない。
母から直接この話を聞いた記憶はないが、よく兄や姉が話して聞かせてくれたものだ。
誰一人として愛でる者なき「まだらコース」のガマの穂、誠に貴重な湿地帯だと思うのだが、いづれ買主が付き「売地」「まむし注意」の看板が取り外され、ごく普通の家が建ち並ぶのであろう。