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ビジネスサポート・ コミュニケーションブリッジ 代表 石井 吉治 yosiharu(あっと)mis.ne.jp >> WEBサイト ★☆ブログ更新予定☆★ 業務日誌 :月~金曜日 (祝日を除く) 企画の勘所 :日曜日 最新のトラックバック
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2014年 06月 24日
オプション集合場所であるCITY RAMAには6時前に着いたのだが、二階建ての観光バスが次から次へと発っていく。
ホテルを出て歩きながら「今日は、何人くらい集まるんだろうね、見ず知らずの人たちと何時間も同じテーブルだと、疲れるよね」などと心配していたのだが、定刻6時30分に迎えにきた車に乗ったのは、我々親子の二人だけであった。 案内人は40歳前後のフランス人であったが「日本からお越しですか?」など日本語で話しかけられ街の様子などを案内してくれた。「日本語がお上手ですね」と話しを向けると「普段、日本語を練習する機会がないから、だんだんと下手になっていきます」という。「じゃー、モンマルトルにつくまで練習してください」というと「ありがとうございます」と、なかなかきちんとしている案内人だ。 「日本語はどこで習ったんですか?」と切り出すと「勤めの関係で、東京に4年ほどいたことがあります。その間に少し覚えました」という。「ほーそうですか、4年暮らしてみて、東京は好きな街になりましたか?それとも、二度と行きたいとは思わない街になりましたか?」と聞くと「東京は大好きな街です。機会があったらもう一度暮らしてみたいと思います」という。 丘に通じるモンマルトル大通りに差し掛かると「この辺りに住む人たちは、パリの人とは違う人たちです」という。彼が言う「人が違う」という意味は... モンマルトル/Montmartreは,殉教者の丘/Mont des Martyrsを由来とする名前で、この一帯は独立したコミューン(Commune/最小単位の自治体)、ブドウ畑と風車がシンボルの長閑な農地であったそうだ。が、1860年、その一部がパリに併合され、パリ18区を構成するようになったという。今では、丘の上のテルトル広場やサクレ.クール寺院、そして、クリシー大通りの華、キャバレー.ムーラン.ルージュ(赤い風車)などがあり、パリ有数の観光名所となっている。 「そうですか...そういういきさつがあったんですね、モンマルトルの丘に葡萄畑があるとは聞いていましたが、その当時の名残だったんですね。そのワインはなかなかの人気だと聞いたことがありますが?」と聞くと「そのようです。帰りは葡萄畑の周り通ってホテルに戻りましょう」と言ってくれたのであった。 まず、帰りの待ち合わせ場所を確認。「10時10分から15分の間にこの場所で待っています。今からレストランの支配人に紹介しますが、すぐに食事にしても、少し散策してからでも、どちらでもいいですから」と、今夜の食事場所クレマイユの支配人に「今夜のお客様です」と紹介してくれた。 第11話の中に、マルゴー村の中で最も標高の高い場所にあるシャトー.デュ.テルトル/Château Du TERTREというメドックの赤ワインが登場するが、このワインと同じ名前のテルトル広場/Place du Tertreにレストラン.クレマイユがある。モンマルトル村の最初の村役場が置かれていたというテルトル広場は、パリで一番標高(130メートル)の高い場所なのである。 広場の中心部は、何でもありの屋外飲食堂になっていて、その周りには、30人くらいの画家?たちが、椅子に腰掛けている老若男女の似顔絵を描いている。鉛筆で画用紙に描いているのだが「よく似ているね、そっくりだね」と、思わず、息子と顔見合わせた。 ピカソやモディリアーニなどの貧乏画家達が安アパートに住みながら、制作活動に情熱を燃やしたのは今は昔、モンマルトルの丘は、すっかり、似顔絵描き屋さんに取って代わられたようだ。 日曜午後のモンマルトルの丘は観光客で埋め尽くされている。7時半ちかくだというのに真昼のように明るく、遠くまでパリの街並みが眺望できる。 テルトル広場に通じる広い石段が観光客に占領されている。見れば、街路灯の天辺でパフォーマンス中の芸人に喝采を送っているのだ。街路灯の支柱にぶら下がりながら、サッカーボールを、両足で蹴っては受け受けては蹴っているのだ。何人かの警官がいるのだが、知らん顔。 日曜日はホテルのレストランも休業というパリの街、飲み物付コース料理、それに、ミユジック.ディナーというタイトル、更に、送迎車付きという至れり尽くせりのオプションに「これにしようか」と決めたのがレストラン.クレマイユであったのだ。 レストランの中は大勢の旅行者や団体客でいっぱいであったが、隣の丸テーブルには60台後半の夫婦が70台後半の母親(どちらかの)連れの3人組、どうやら、イタリアからの旅行者らしい。 エジプト系と思われるウェイターが、綺麗な真紅の液体が入ったグラスを持ってきた。 まずは乾杯! 息子が「これ何というの?」と聞くので「辛口白ワインに少量のカシス(黒スグリ)リキュールを加えたキール (Kir)というカクテルだよ。白ワインの代わりにシャンパンのブリュット(辛口)を使うと、キール.ロワイヤル(Kir Royal)というカクテルになるんだよ」と、ここは、親父の貫録十分というところ。 料理は何を食べたか忘れてしまったが、残さずに食べたことは確かだから、まずまずの内容であったとものと思う。 CREMAILLEREをクラウン仏和辞典で引いてみると「暖炉にかける鍋などを吊るす自在鉤(先が曲がった棒状のカギ)」とある。創業1900年とあるが、店名を「クレマイユ」としたのには、どんな物語があったのであろうか。 モンマルトルの丘には2度ほど来たことがあるのだが、いづれも、陽の高い時刻のことであった。 今回、たまたまモンマルトルを選んだのは「夕暮れ時のパリの街並みをゆっくりと眺めてみたい」という思いが強かったからで、ミユジック.ディナーについても、開演前に、二階や三階席で正式なシャンパン.ディナーを楽しむ「リド.ディナーショウ」や、上演中に、フレンチカンカンに見入りながら、一品料理でワインなどを楽しむ「ムーラン.ルージュ」などのような華麗豪華な期待感を持ったからではない。 笑ってしまったのだが、ミユジック.ディナーというからには、少なくとも、第一線を下りた歌手などがピアノの演奏で、シャンソンを聞かせてくれるのではないか?というくらいの期待感はあったのだが、実際には、50台半ばくらいのおじさんがピアノを弾きながらシャンソンやカンツォーネを歌っているのである。 それでも、隣のイタリア組の夫婦が、狭い通路でダンスを楽しんでいた。 最後に出てきた白ワインが、あまりにも粗雑極まるものであったので、サンテミリオン赤をボトルでとり、口直しをした次第。 サクレクール寺院は夜のミサの最中であった。丘を一回りし、約束の時間に約束の場所に行くと、車が来ていない。「おかしいね、10時10分から15分の間と言っていたよね、今、丁度15分だよね」と15分ほど待ってみたが車は来ない。 さすがこの時刻になると、人影もまばら、この丘に「最初の村役場が置かれていたモンマルトル村」の夜の静寂が戻ってくる。 客を乗せた1台のタクシー丘を登ってきた。 ホテルまでは、12ユーロで済んだのだが「あの人は、すっぽかすような人ではないよね、何かトラブルにでも巻き込まれたのかな」と、ここは日仏親善のために、矛を収めることにした。 しかし「あのタクシーが来ないと、どうなったかなー」と考えると、一寸怖いような気がする。 親子旅は明日一日を残すのみとなった。 誠に月並みな計画であるが、メインはセーヌ河遊覧、サブはエッフェル塔で昼食なのである。それと、なんとしても、お土産を買わねばならない。果たして、どんな最終日となるのであろうか。
by c-bridge
| 2014-06-24 16:57
| わが日常
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