少し前になるが、あまり多くの作品があるわけではないが、たまたま色紙に残しておいた俳句を年代別にまとめてみたことがある。
改めて一覧表を眺めてみると、紫陽花や薔薇や月見草などを詠んだ句はいくつかあったのだが、「そうかー、花を題材とした句が意外に少ないんだなー」と妙な発見をしたのである。あまりにも壮大な開花までのパフォーマンスに圧倒された故なのだろうが、桜を詠んだ句はこれまでに一句のみであった。
とりわけ、1988年(昭和63年)の、松戸・相模台公園の桜は、誠に印象深いものであった。
蕾が膨らみ、空いっぱいに広がる枝が薄紅色に染まり始め「あと二、三日だなー」と思っていると、はや翌日には二分咲き、そして三日後には満開となった。「明日の朝が楽しみだなー」と思っていたが、夜半から想定外の雪。
分刻みの出勤風景はサラリーマンの常だが、「雪で桜はどうなったんだろう」と十一階のマンションの下に位置する相模台公園を見てみれば、十数本に及ぶ桜の樹は何のためらいもなく淡雪を受けとめ、あたかも、ぼんぼりに灯がともったような幻想的な世界を創り出している。駅に急ぐ足を止め、都会の騒音が届かぬ静寂な空間に、しばし身を置いたのであった。
淡雪を 冠むりて 今朝の桜かな
二、三日前のブログで花筏を題材に詠みはじめたのだが・・・花筏という語源が「川が流れ着く所は、苦しみが無く清らかで幸せに満ちている極楽浄土、死者が一刻も早く浄土に着きますように」と「野辺の花を添えた筏に骨壺を乗せて川に流した」という古の人々の素朴な祈りにあった、という通説のあることを知り、「どう見ても、この句は、薄っぺらだな!」と気落ちしていたのである。
俳句を嗜む人たちは、自分の兄もそうなのだが、一日に何句もつくるのだという。しかし、自分にはそうした才能も能力も無く、閃いたイメージがあっても、それを間髪入れずに句に仕立てるということが出来ない。年に三、四句できたら御の字という自分だが、これを称して「大作主義」などと自嘲している。
通説が醸す素朴な祈りをにじませた「これぞ花筏」という句ができないものか。自分との闘いが始まった・・・
蕾から開花までの壮大なドラマは、日常の中に埋没している人それぞれが秘める情感を呼び覚まし、改めて桜の美しさを胸に刻む。そして見事な落花の舞、一陣の風が吹けば、幾百万という花弁は風と一体となり、里山を縫って流れる川面に舞い降り、大小さまざまな形の花筏となって、静かにしずかに流れ去っていく。
四季を通して開花の準備に勤しみ己の命を全うした桜、川面の流れに身を任せた幾百万の花弁にとって、花筏そのものが「苦しみが無く清らかで幸せに満ちている」浄土ではないか・・・。
傘寿を迎えた年の桜に寄せる思いの一句である。