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ビジネスサポート・ コミュニケーションブリッジ 代表 石井 吉治 yosiharu(あっと)mis.ne.jp >> WEBサイト ★☆ブログ更新予定☆★ 業務日誌 :月~金曜日 (祝日を除く) 企画の勘所 :日曜日 最新のトラックバック
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2015年 06月 16日
娘から「久しぶりだったなー、とっても、懐かしかったよ」というメールが妻のスマホに届いた。六本木ロアビル辺りから麻布十番に至る鳥居坂の中ほどにある六本木・国際文化会館で何かの集まりがあり、所用を済ませたあとのメールである。
我が家族にとって国際文化会館は、数々の「ハレ」の彩を添えてくれた想い出多き会員制ホテルなのである。 名だたる名士諸氏によって成り立っている国際文化会館だが、担当者として足しげく通ううちに支配人と意気投合、1992年(平成四年)、日本橋・千疋屋社長の推薦状を頂き、一介のサラリーマンとしては「よくもまあー思い切って」と言われる入会金四十万円、年会費三万円を納め、夢の会員資格を頂くことが出来たのである。 岡山から東京に異動する自分と娘の大学受験が重なり家族の気苦労も大変なものであったが、新幹線のホームに出迎えた娘の宿泊先は、都心部とは思えない静寂な佇まいの六本木・国際文化会館、受験日の朝、大学の正門前まで送って行ったものであった。 研修の仕事で東京に出張する回数はそう多くはなかったが、社団法人日本経営協会(東京・千駄木)の公開セミナーの打ち合わせや本番を担当するための上京は年に三、四回、そんなとき何回か息子を呼び出し一緒に食事をしたり、元防衛庁(現東京ミッドタウン)の直ぐ横にあるワインバー・スタンプ・ワインガーデンに連れて行ったりしたものだが、朝、息子を送り出す時「ここからなら、会社まで直ぐだから、有り難いよー」と言いながら部屋を出て行く後ろ姿などを、つい昨日のことのように、懐かしく思い出す。 当時、娘の家に「長期滞在」することがよくあったが、最終日には、国際文化会館に泊まって帰路に着くことが多かった。六本木から首都高に入ると東名高速までひとっ跳び、川口からスタートするのに比べると、日本橋や銀座などを抜ける混雑にもよるのだが、相当な時間の節約となったのである。 国際文化会館から東京タワーを望むこの写真は、2006年10月25日に撮ったものだが、日本庭園を眺めながらいただく朝食は誠にシンプル、周りのテーブルはほとんどが外国からの研究者などの長期滞在者であったが、コーヒーもパンもデザートも、どれもこれも夫婦の素晴らしき想い出となっている。 息子が股関節の大手術をしたことがあった。 東京・三鷹市にある杏林大学医学部付属病院で手術を受けたのだが、退院後は、松葉杖を使いながら親の家で養生、半年ほど居て、東京の勤務先に帰って行った。が、股関節を保護している金属を取り出す「抜釘」は、中央線・小金井駅からタクシーで十分ほどのところにある「聖ヨハネ会桜町病院」で行われたのである。 娘とお見舞いに行ったのは厳寒の季節「こんな楽しい入院生活は無いよ!」という息子の話に大笑いしながら小金井駅に向かうのだが、その頃から雪が降り始めたのである。 街に灯が点る夕刻「お腹が空いたね」と言いながら駅前の食堂に入って腹ごしらえを始めたのだが、店のTVで「大雪のため、運転を取りやめている」というニュース、娘が「お父さん、大丈夫?」と心配顔、「なあーに、お父さんは雪には慣れているし、よく分かっているから」と、気にも留めずに杯を重ねる。たまりかねた娘が「ちょっと駅まで行って見て来るから」と飛び出して行ったのだが「お父さん、大変なことになっているよ!」と、息を切らして戻ってきた。中央線が全線不通なのだという。 駅に来てみると、娘が言う通り帰りを急ぐ勤め人でごった返している。既に駅周辺や近隣のホテルは満室。どれほどの時間が経ったのか記憶はないが、ようやく、吉祥寺まで電車が出るという。吉祥寺で降りて周りのホテルを当たってみたが、ここでも、すべてが満室。 娘に「国際文化会館に頼み込むより方法はないかもね」と言うと、娘も「そうだね、電話してみようよ」ということになった。とうに門限が過ぎている時刻、祈るような気持ちで公衆電話のプッシュボタンを押す・・・と、いつもの丁寧な受付嬢の声、「大雪でお困りでしょう、ツインルームがご用意できますから、お気をつけておいでください」との返事、「地獄で仏」とは、このような場合のことをいうものなのだと実感した。動き出した京王・井の頭線で渋谷へ、山手線・恵比寿駅から地下鉄・日比谷線に乗り換え、六本木で地上に出ると外はクリスマスイブのような雪景色、街の派手なネオンが、ひと際輝いていた。 温かいベッドに潜り込んだのは、日付が変わった一時頃であった。 今でもこの話が時々話題にのぼり「お父さんは、大雪には慣れているんだっよねー」と、我が家の笑いのネタにされている。 妻も娘も息子も、国際文化会館にはそれぞれの想い出があるのだと思うが、特に、大雪の災難に遭遇した娘が「久しぶりだったなー、とっても、懐かしかったよ」とメールをしてきたのは、とても良く分るというものである。 2009年(平成21年)、資料やレジュメの編集に打ち込み、十四年間も続けることが出来た研修に幕を下ろしたのを機に、我が家族の暮らしの中に一筋の光を当ててくれた国際文化会館の会員を返上し、現役時代から数えれば三十年にもなるという異色の会員との交流を楽しませてくれた異業種交流も退会した。 結果として、定年後の健全なる心身を保つ役割を果たすことになった「世間との三つの交わり」ではあったが、「立つ鳥跡を濁さず」、きっちりと「けじめ」をつけた2009年は、後ろ髪を引かれるような思いも無いではなかったが、「よくぞ決断をしたものだ!」と誇らしげに思い出すのである。 国際文化会館で所用を済ませた娘が、帰路、麻布十番の豆菓子の老舗・豆源本店に立ち寄ったと言って、「色々な豆があって面白いよ」と、オニオングリンピースやアーモンドハニーや黒胡椒やバタピーなどを送ってくれた。 豆の持ち味と風味が確りとしていて、どれを食べても美味しいものばかり、晩酌のつまみにはもってこいの豆菓子である。 初代駿河屋源兵衛が煎り豆を肩に掛け江戸の町を売り歩き「豆屋の源兵衛さん」と親しまれた豆源本店、2008年の売上高が約12億円であると知ると、流石は「花のお江戸でござる」と、思うので御座る。
by c-bridge
| 2015-06-16 16:32
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