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2015年 07月 10日
もう二十年近くにもなるであろうか、篠突く雨が幾日も幾日も続く梅雨本番を迎える頃になると「きたわよ」という電話が来る。妻の幼馴染からの電話である。
今年も変わらぬ電話を貰い、妻と、駅前で喫茶店を営む彼女の店に立ち寄った。開口一番「甘泉堂に異変が起きたかも知れないよ」と異なことを言う。「何かあったの?」と問いただすと「昨夜、開けてみたのよ。するとさ、あれが無いじゃないのよ」という。 包装紙を解き京・祇園の雰囲気を彷彿とさせられる色遣いの化粧箱を開くと、微かな紫色を帯びた水羊羹が、綺麗に、十切れほどに切り分けられ、今まさに、菓子皿に取り移そうとしている人が、紫陽花を模した仕切葉を摘まんで引き上げると、何の不都合も無く取り出せるように工夫されているものであったが、その「紫陽花の仕切葉」が無く、棹一本が「どん!」と無造作に入っているだけであったそうだ。 電話で注文を受けてくれたのはいつものように女将さんだったそうだが「長年、水羊羹に命をかけてきた職人さんに何かあったのかなー、まさか、味が変わったということはないよね」などと、不意打ちを食らった鳩のように、雨に濡れる紫陽花の葉への思いが募って行ったのである。 この話を聞いていて、銀座・伊東靴店の事を思い出した。 腕時計ではなく懐中時計、シングルではなくダブルスーツ、ネクタイは銀座・田屋、通勤靴は京橋・伊東靴店の革靴、雨の日は日本橋・丸善のマナスルシューズというように、サラリーマンの後半は、三種の神器に凝っていた時代でもあった。伊東靴店の革靴は、少し平たい感じの英国紳士?風のとてもお気に入りの履きやすい靴であった。いつも行く店は銀座に近い京橋の店と東京駅八重洲地下街の店であったが、一年半に一度くらいであったか、買い替えては満足していたものだ。 しかしある日、新調をしようと店に出向くと、年配の店長さんが「誠に申し訳ございません。あの靴は専任の職人が作っていたのですが、病に倒れまして・・・手作りですから・・・」という。昔から使い込んだ靴型はあるのだが、その職人の技を引き継ぐ後継者がいないのだという。 新調が叶わぬ事態に、リーガルなどと交互に、後生大事に履き続けたものだ。 さて、朝食の後、甘泉堂の水羊羹を食してみた、が、「紫陽花の仕切葉」が無くなったというショックが強すぎたせいか、滑らな舌触りや後味の切れの良さが、いつもとは違うような気がしたのである。「きたわよ」と電話をしてくれた人も「先入観が・・・」と同じような食味感を言ってきたそうだ。 “その一品”から安心感や信頼感が伝わってきて初めて老舗という“価値”が醸成され、世間から認められるものなのであろうが、何かをマイナスするということは、あってはならない事であろう。百年以上に渉って、コツコツと信頼を積み重ねてきた水羊羹も、一枚の「紫陽花の仕切葉」が無くなっただけで、一瞬にして、「来年からは止そうね」ということになってしまうのだ。 定年後の研修の仕事にもよく履いていった伊東靴店の革靴だが「まだとってあった筈だが・・」と靴入れをみてみたら「やー久しぶりだね」と、顔を出してくれた。 見れば、靴の中の土踏まずの部分に花文字で「K・Ito Shoos est1888」という文字が見えたが、伊東靴店で検索してみてもヒットしない。店を畳んでしまったのだろうか。 改めて「伊東靴店・京橋」で検索しなおすと、1955年から続いている商店街のPR誌“銀座百点”と同じようなものだと思うのだが、“京橋ものがたり”の編集者のィンタビューが目に留まった。銀座七丁目の米屋の長女として生まれた「諏訪きよ(99歳)」さん、京橋の街の想い出を聞かれて「京橋には小松乾物屋が角にあってその隣が床屋さんだったわ。伊東靴屋、甘味処・あずま、トンカツ屋、亀甲煎餅の亀井堂、写真屋、うなぎ屋の川京、鶏屋の安達屋、藪そば、二丁目には泰明小学校時代の一番の友人の武藤さんが嫁入りした桃六さんがあったのよ。武藤さんは俳優の石坂浩二さんのお母様なの」などと、述懐されていた。 当時の京橋界隈に生きる商人たちの息遣いが聞こえてきそうな描写である。 京・祇園の甘泉堂の水羊羹から、はるばる、京橋の伊東靴屋まで話が飛んでしまったが、“老舗の味を守りきる”ということが如何に大変なことであるのか、一枚の「紫陽花の仕切葉」から教えられたのであった。 日常の暮らしの中でも「紫陽花の仕切葉」がひょいと顔をもたげることが、あるのではないかと思う。
by c-bridge
| 2015-07-10 13:39
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