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ビジネスサポート・ コミュニケーションブリッジ 代表 石井 吉治 yosiharu(あっと)mis.ne.jp >> WEBサイト ★☆ブログ更新予定☆★ 業務日誌 :月~金曜日 (祝日を除く) 企画の勘所 :日曜日 最新のトラックバック
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2016年 05月 17日
快晴の気持ち良い朝であった。チエックアウトは11時30分なので比較的早く起き出し、部屋の整頓を済ませて朝食に出掛けた。
朝食券を渡しながら「窓際の席があれば・・・」と希望を伝えると、「少々お待ちください」と言って食事を済ませたばかりの先客のテーブルを手際よく片付け、正面に興福寺・五重塔が見える席に案内してくれた。 正面に座った妻が頻りにスマホのシャッターを切っている。 定食のメニューは『焼き魚、焚合、小鉢(二種)、御味噌汁、御飯、香の物』で、ホテル特製の梅干と海苔が添えられていた。 どれも美味しく一切れも残さずに平らげたのだが、特に、香の物の『瓜の奈良漬』が自然な軽めの味わいに加えサクサク感が小気良い。「帰りに見て行こうか、子供たちのお土産に丁度いいね」とホテルショップに立ち寄った。 ホテルオリジナルのケーキや缶詰類の他にグラスマットやポシェットなどつい手が伸びてしまいそうな土産物が沢山並んでいた。その横に、「三笠の朝食(和定食と茶がゆ定食)にご提供している奈良漬です」というカードが付され『瓜の奈良漬』が沢山積まれていた。 部屋に戻って「帰りに柿の葉寿司を買っていこうね、どうせなら、たなか奈良本店に行って買いたいよね」などと、もう夕食の心配が始まっている。 チエックアウトにはまだ十分な時間があるあるので興福寺まで散策に出掛けることにした。 ロビーでスタッフ氏に「柿の葉寿司のたなか本店の場所を教えてください」と頼んだらPCで所在地の地図をプリントしてくれた。ついでに「興福寺までの近道がありますか?」と聞くと、観光地図を広げ「10分ほどで行けますよ」と道順を丁寧に教えてくれた。 ホテルを出てすぐ右下に美しい大乗院庭園が広がっているが、その片隅にSt .Raphael Churchiというホテルが経営するチャペルがあり、そこの裏木戸を通り抜けると狭い路地に出る。チエックアウトまでの時間の制約もあるので歩を速めていると『この辻は不審ヶ辻と言って・・・』という立札が目に留まった。「魔物がどうのとか書いてあったが・・・」と気にはかかったのだが・・・250メートルほど進むと猿沢の池や興福寺が正面に見えてきた。十数年前に妻と娘が寺院巡りをしたときに泊まったというホテルが見ていた。 広い石段の両脇には若草を食む鹿が群れている。 改めて『不審ヶ辻』という不思議な名前の辻を調べてみたら・・・この辻には、かつて『鬼』が出て恐れられていた、という。 「昔々、この辻近くの御所馬場町の長者の家に盗賊が入ったが捕えられ、鬼隠山から谷底へ投げ込まれて死んだ。盗賊の霊が鬼になり、毎晩、元興寺の鐘楼に現われ、町の人たちを襲うようになった。元興寺の小僧(後の法師道場上人)は「私が鬼を退治します」いって、鐘楼の陰で待ち伏せし鬼と激しく戦っていたが、朝方、逃げだした鬼が細い辻までくると、ぱっと消え姿を隠した。それ以来誰いうとなく、この辻を『不審ヶ辻』と呼ぶようになった(奈良市民間説話調査報告書による)」 元興寺の鐘楼は、今は、新薬師寺に移されているという。「鐘には鬼の爪あとがぎょうさん残ってる」と伝えられているのだが・・・古都には様々な言い伝えが残されているようだ。 部屋に戻って帰り支度を始めたが「柿の葉寿司、本店で買っていくよね」と再三確認をするのだが、妻は「高速のSAでも売っているから、寄らずに早く帰りましょうよ」となかなか「うん」と言わない。有名和菓子の本店ならば「寄っていこう、寄って行こう」と凄まじいアプローチを掛けて来るのが常なのだが、せっかく地図まで用意したのに、和菓子と寿司では熱意の拠り所が異なるものらしい。 帰路についた。一旦JR奈良駅まで行き近くのGSで給油、大和郡山の名阪国道入口を目指して走り出したのである。 名阪国道は、往路の時と同様に、伊勢湾岸自動車道の亀山JCTまでの舗装工事で渋滞が続いていた。ようやく渋滞が解消して一か所目の御在所SAで休憩をとった。 御在所SAは “古くて汚い”というこれまで持っていた印象とは大きく異なり“明るく綺麗で便利“なSAに変わっていた。お手洗いを済ませて、茶屋風作り『赤福』でお抹茶のセットを頂いた。 妻は『赤福』はじめあれやこれやと買い集めていたが、『たなか奈良本店の柿の葉寿司』の扱いはなく、夕食は『柿安の牛めし弁当』となったのである。 無事に帰れてよかったなーという安堵感からか、帰ってから二日ばかり、飛行機の長旅の時に味わう「時差ぼけ」のような気だるさが抜けなかったが、往路復路430キロに及ぶ高速道の走行や西の迎賓館と言われてきたホテルライフを満喫したことなど『日常と非日常とのリズムの差ぼけ』であったのかもしれない。 それにしても、今回の旅は、古都の寺院巡りは思うようには出来なかったのだが、車椅子の妻と互いに労わりながら楽しんだ旅は、深い想い出の旅となったのである。 旅の折々を思い起こしながらブログに向き合った日々、奈良ホテルを取り囲むようにして咲いていた可憐な八重桜を想う度に、幾度となく胸に去来した歌があった。 『あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり』 『いにしえの奈良の都の八重桜けふここのへに匂ひぬるかな』 大伴旅人が太宰府の長官だった頃の役人・小野老(おゆ)が花の都・奈良から太宰府に都落ちしたときに詠んだとされる歌(万葉集巻三)と小倉百人一首にも選ばれた伊勢大輔(たいふ)が詠んだ歌である。 どうやら、淡紅色の小ぶりな花弁を有し稀に見る遅咲きの八重桜、そのルーツは古都奈良にあったようだ。一説によると、聖武天皇が三笠山(現在の若草山)の鶯ノ滝辺りで見つけ、その後、興福寺などの境内に植えられたといわれる。 奈良八重桜は奈良を代表する県花として、奈良市の市章や市花として県民市民から広く愛されているそうだ。 長く続いた『旅日記』も今回が最終回、またいつの日か、深く心に残るような『旅』に恵まれることを、心から願っている。
by c-bridge
| 2016-05-17 14:13
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