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2016年 08月 30日
都市国家としての枠組みを改革したソロンの偉業を引き継ぐ第二走者は、彼の母方の親族で22歳の凛々しい青年ペイシストラストであった。
彼が果たすこととなる使命は「サラミス島をアテネ領とする事」であったが、国の形が整ったとは言えまだまだ道半ばのアテネ、市民を一つにまとめ、他都市国家との衝突を避け、望まぬ戦いを強いられた場合には相手を撃破できるだけの軍事力を手にしなければならない。使命を全うするためには、まず、足元を固め、事を急いてはならないのであった。 ペイシストラストには全方位外交・遠望術策が欠かせなかったのだ。 サラミス島はペロポネソス半島とアッティカ半島に挟まれたエーゲ海・サロニコス湾北部・サロニカ諸島で最大の面積を持つ島で、本書・第二章「それぞれの国づくり」にある『アテネとその周辺(当時の地図)』を見ると、サラミス島は、エーゲ海から地中海へ躍進するための経済的・軍事的に極めて重要な島であることが分かる。 しかし、ペロポネソス半島とアッティカ半島には、アテネやスパルタをはじめピレウス、メガラ、コリント、アエギーナなどサラミス島を巡る利害関係強国が取り巻き、互いを牽制し合っていたのに加え、運搬船の保有数では他を圧倒していたアテネであったが、軍船は限りなくゼロに近い状態であったのだ。 ペイシストラストは軍船の建造と戦闘員や乗組員の育成に力を入れ、海軍強国・コリントやアエギーナと肩を並べる状態にまで海上戦闘力を強化し、他の都市国家に隠然たる圧力を加え始めたのである。 アテネを取り巻く都市国家群に睨みを利かせながら、スパルタをも仲介役として利用するなど外交力と通商力を駆使し、二十数年の長い年月は要したものの、最後まで戦力に頼ることなく「サラミス島を自国の領土に」という長年の夢を叶えたのである。 貴族や一般市民が湧きに沸いたこの快挙は、アテネ市民の暮らし方を変え始める。 7歳から読み書きを習い、アバクス(ソロバン)で算術を学び、ホメロスの抒情詩を朗読し暗唱しリュートの演奏やダンスなども習熟していたアテネ市民の底力『民力』が、産業や商業の多様化を推し進めて行くのである。 例えば、元々評判の高かった壺絵を更に優雅で美しい芸術品に仕立てあげ、貿易の重要品目としてエーゲ海を席巻し、この絵壷の技が彫刻の分野にも革新を齎し、列柱が四方に並び立つイオニア方式と言われる美しい神殿建築に一層の磨きをかけたのである。 ペイシストラストは日常の暮らし方や楽しみ方も変えた。 どの都市国家からでも参加できる「汎アテナ祭(女神アテナに捧げる4年に一度のイベント)」を打ち上げて歌唱力を競わせたり、二級の神とされていた酒の神・ディオニッソス(バッカス)をゼウスやアテナやアポロンと同列の一級の神に格上げ「演劇の上演はディオニッソスに捧げる」ものと定め「観劇の後は葡萄酒を飲むべし」とし、異なる経済圏に住む市民や貴族の間の垣根を取り外し、アテネは、「古典ギリシャ」文化の中心的な存在となっていくのである。 ペイシストラストの時代は、アテネが文化的にも経済的にも外交的にも「国力」を充実していく非常に重要な位置を占めた時代であったのだが、37年間も国外に軍勢を送らずに済んできたアテネにも「テーベとの戦闘」があったのだ。 アテネがあるアッティカ地方の北端に隣接する都市国家テーベは、他国侵略の常習犯と言われていたのだが、噂は違わず、隣国の都市国家プラタイアに攻め込んだのである。若しも、プラタイアがテーベの支配下になると、アテネを首都とするアッティカ地方は、侵略常習犯・テーベと国境を接することになる。この状況は何としても阻止しなければならないと決断したアテネは敢然として起ち「テーベとの戦闘」で完全なる勝利を収めたのである。 しかし、ペイシストラストの死後のアテネはスパルタの陽動作戦に揺れる。 スパルタは同国と縁のあるアテネ人・イサゴラスを操りアテネの支配を企てるのだが、これまでに培ってきた市民のアテネを思う気持と行動で、スパルタの野望を打ち砕く。物事を「自分たちの頭で考える」という習慣を身に付けたアテネ市民の勝利であった。 ペイシストラスト亡き後の強力なリーダーを待ち望んでいた市民の前に、彼の路線を踏襲し改革意欲に溢れる人物がアテネにやってきたのである。アテネの名門中の名門・アルクメオニデス家の長男、19歳で自主的に亡命生活に入り57歳で祖国に復帰してきたクレイステネスであった。 我が国にも自分が拠って立つ政党を「ぶっこわす!」と叫んで人気を博した総理がいたが、市民から熱烈に迎え入れられたクレイステネスは、自身が属する特権階級が拠って立つ基盤を根底から破壊したのである。 パワーの移行が進むアテネ社会、時代に遅れた特権階級のマイナス部分をきっぱりと切り捨て「武力や財力で君主の座を簒奪(さんだつ)する僭主政(せんしゅせい)の時代にアテネを戻してはならぬ」という強い決意の下、「国政の行方を市民の手に委ねる」というデモクラシーの根幹までは実現できなかったものの「特権階級が国政の行方を考えて改革案を市民(デモス)に提案しその賛否を市民に完全に委ねる」という「古代アテネのデモクラシー」を確立したのである。 さて、特権階級が拠って立つ基盤を根底から破壊した「クレイステネスの改革」は、どんなに物凄い改革であったのであろうか。
by c-bridge
| 2016-08-30 14:32
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