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2017年 08月 18日
お盆休みに入る何日か前、そう、夏の甲子園の組み合わせが決まった日であったが、妻が「おかやま三陽高校の第一戦が三日目に決まったの、強豪・聖光学院(福島)との対戦なので、誰に聞いても勝てると言う人がいないの、知り合いに応援のお願いをしようと思って、一番先に石井さんに・・・」という柴田先生からの電話を受けたのであった。
雨で開会式が一日延びたのだが、3日目第3試合は午後一時にプレーボール、一回はなんとか無失点に抑えたのだが、二回の守りに入り、5番聖光学院キャプテンのタイムリーヒットに続き6番打者の連続ヒットで2点を先制され、その後も小刻みに得点を許し、先発投手の好投に12三振を奪われ、0対6で完封負けしたのだ。「誰に聞いても勝てると言う人はいない」というその通りの試合運びとなってしまったのである。 春夏通じて初出場のおかやま三陽高校対11年連続出場(戦後最多)の福島聖光学院、両校の球児たちは、これまで積み重ねてきた猛練習を遺憾なく発揮しようと挑んだ試合ではあったが、聖光学院に一日の長があったことは明らかであった。 試合が終わった翌日「時間を取らせてしまってごめんなさいね」という柴田先生からの電話を受けたのは、たまたま、自分であった。 おかやま三陽が得点チャンスを迎えた時の話をしてあげても、野球を見たことのない先生には無理な話、「聖光学院校歌におかやま三陽の選手たちは、顔をくしゃくしゃにして泣いていました。そして、大きな袋に球場の砂を詰めていましたよ」と試合後の様子を説明してあげたのだが、電話の向こうの先生の表情は「??・・」という風に見受けられ、試合後のセレモニーの様子や最後の試合後に甲子園の砂を持って帰るという慣習について、詳しく説明をしてあげることになったのである。 柴田女史を「先生」とお呼びするのは、中2で市川から岡山に転校した娘が英語・英会話の指導を受けたことに始まるのだが、そのご縁が、37年経った今でも続いているのである。 先生がこれほどまでに“おかやま三陽高校”の応援に一生懸命なのは、ご近所に、原田学園を創立(1937年 2002年に現高校名に変更)した原田さんという教育ご一家があって、3人の男の子たちが娘と同じく先生の英語教室に通っていたそうだ。HPによれば、現在の理事長・校長が原田一成となっている。 柴田先生が両眼を失明したのは小学校の時とお聞きしているが、彼女はご両親の深い深い愛情に応えて勉学に励んで大学教育を受け、アメリカ・デンバーに渡った時の体験談などを講演会で話したり、視覚障碍者の社会的認知に力を注ぎ、現在は、新築したばかりのお住まいでヨガ仲間と交流、PCを駆使しながら盲導犬と仲良く暮らしている。 スタジオジブリ・千と千尋の神隠しが発売になったのは2001年の7月であったが、翌8月、盲導犬オルガと共に我が家にやってきた先生は、2泊3日の夏休みを楽しんで帰られたのだが「先生、千と千尋の神隠しがありますが、ご覧になりますか?」と、念のため聞いてみると「是非見たいわ」と言う。二階のパソコンで再生しながら、ポイント・ポイントを解説してあげたのだが、パソコンから流れる音声や音楽にじーっと耳を傾け、あたかも、映像が見えているかのように、最後まで「見終えた」のである。 おかやま三陽高校の試合後のセレモニーの様子や甲子園の砂を持って帰るという慣習についてお話をしてあげた時も、涙を堪えながら砂を袋に入れる選手たちの姿が、あたかも、はっきりと見えているかのように「負けた選手たちは球場の砂を持って帰るんですね・・・」と、初めて耳にする甲子園球児たちの「慣習」に、驚きの声をあげていた先生であった。 「甲子園の砂の起源はこれだ」という確証は無いようだ。 これも本当のような嘘のような話だが、熊本工の投手・川上哲治が決勝戦で敗れた折、自分のユニフォームのポケットに甲子園の砂を入れて持ち帰ったのが最初、という説があるのだが、さて、どんなものであろうか。
by c-bridge
| 2017-08-18 14:05
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