最大級の寒波が居座っていて、連日、北陸地方の雪害が報じられているが、当地の昨日今日の空は柔らかく春めいた色合いを呈し、暦の「立春」が、一瞬の「春もどき」を呼んでくれたのであろう。
風呂上がりの晩酌ほど「ほっ」とするひと時はない。「今日も無事に過ごせたなー、有り難い事だなー」と思いながら“あけぼのの福豆”をポリポリやっていたら、子供の頃の「豆まき」を思い出した。
夕餉の前であったか、母が煎った大豆を1升枡に入れて、長兄が「福わーうち福わーうち、鬼はーそと鬼はーそと」と部屋から部屋へそして廊下へと豆を撒きながら、雪で覆われている窓などは閉め切りになっているのだが、開け放っている玄関に叩きつけるようにして、家に棲み付いた鬼を外に追い出すのであった。当時はあちこちの家から「福わーうち」の大きな声が聞こえてきたものだが、姉たちとキャーキャーいいながら競って豆を拾っていたものである。
蒲郡で所帯を持ち子供に恵まれてから、欠かさず、「福わーうち」をやっていたが、福豆を東京から取り寄せるなどという事はあり得ない事、相変わらず、豆まきの豆は、妻がフライパンで煎った大豆であった。
小さな平屋建ての家であったが、長兄がやっていたのと全く同じように、部屋から部屋へそして玄関へと、“家に棲み付いた鬼を外に追い出す”のであった。
“鬼はーそと”の後で“福わーうち”とやる方が理にかなっていると知ったのは随分あとになってからであったが、銀座あけぼのの福豆の袋の裏書に「豆まきのしかた」という囲みがある。「地方で色々な撒き方があるようですが」と断った上で・・・
「豆は升に入れ夜になるまで神棚に供える。一家の主人が玄関や窓を開け、下から放るように「鬼は外」と2回豆を撒く。追い出された鬼が入って来ないように玄関や窓を閉める。奥の部屋から順に玄関まで「福は内」と2回撒く。1年の厄除けを願い自分の年齢よりひとつ多く豆を食べる」と書いてある。
一升枡とはいかないが、神棚に供えた枡はぐい飲み用の「塗り枡」、何年か前に家族旅行で京都に行く途中、伏見の月桂冠大倉記念館を見学した際に娘が購入したものだが、お酒ならぬ福豆が入ったとは天下の月桂冠もびっくり、「そういうこともあらーね」とでも言いながら苦笑いしているのではないかと思う。
無病息災を願う我が家の豆まきは、武蔵境の社宅でも市川の社宅でも、岡山の社宅でも松戸の社宅でも続いてきた行事であったが、子供たちが巣立った後は、妻と二人で「福は内」ともいかず、「豆まき」に取って代わったのが「福豆」であったのかもしれない。
2月3日節分の日の朝日新聞be「サザエさんをさがして」に年中行事に関するアンケートが載っていたが、節分の実施率は37%だそうで、クリスマスの69%やバレンタインデーの42%には及ばないが、雛祭りの31%端午の節句の15%より高く「意外と生き残っている感じがする」とあった。しかし、撒かれる豆は大豆よりも皮をむいて食べる落花生が多くなってきているらしい。
アンケートで得られた37%という節分の実施率は、多分、子育て世代の家々が多いのではなかろうかと思うのだが、十数年も続けられた我が家の「豆まき」は「得難い幸せのひと時」であったのだと、思うのである。