仕事を終え大塚駅(JR山手線)に向かっていた娘の目の前に、日本三大饅頭の一つ薄皮饅頭の「柏屋大塚店」が現れ「へー、こんなところに、薄皮饅頭が出ているんだ」と横目で見ながら駅の南口に急いだのだが、「あれって、お母さんの大好物なんだよね」という思いが段々と脅迫観念に変わり「ちょと見てみるか」と店に入ってしまったのだ、という。
工場から直送して貰った作りたての薄皮饅頭が届き、早速包みを解いた。「新ものあずき」だけでつくられた年に1度の季節限定の薄皮饅頭だ。
中から現れたのは15個入りの薄皮饅頭、妻は「3ヶ位ずつ分包して冷凍して置けば良いから」と言いながら1個ずつ取り出して半分に割り、頬張った。饅頭の底の餡が見える程に薄い皮の中は寸分の隙間も無く漉し餡が詰まっていて、高級和菓子とは別の、ふんわりとした優しいこの美味しさを何といえばよいのであろうか。
共稼ぎの頃、学生の下宿の続きのような安アパートで暮らしていた60年ほど前の事、通勤帰りの買い物などで立ち寄ることが多かった池袋西武百貨店に柏屋の薄皮饅頭が出ていた。工場直送の薄皮饅頭をもぐもぐとやりながら「小豆餡と白餡をせいろで蒸かしながら売っていたよね、温かそうな水蒸気を見ると欲しくなってね、たまには1ヶずつ買ったよね・・・月に1,2度くらいだったかしらね、こんな美味しもの、他にはないと思ったよね」と懐かしそうであった。
自分は「せいろで蒸かしながら」の情景は思い出せないのだが、和菓子や饅頭などに関わる執念にも似た妻の記憶力にはいつも驚かされるのだが、今回も、包装紙の“日本三大饅頭”という印字をみた妻は、即座に、「東京・塩瀬総本家の志ほせ饅頭、岡山・伊部屋(いんべや)の大手饅頭、それに、福島・柏屋の薄皮饅頭かな」と言ってのけるほどなのだ。
奥州街道郡山宿で茶屋を始めていた柏屋初代(本名善兵衛)は、「病に薬がいるように、健やかな者に心のなごみがいる」との思いから、餡がたっぷりの皮の薄い饅頭を考案、これが柏屋薄皮饅頭の誕生(嘉永五年・1852年)となったという。
包装紙に書かれている「表 題字“新あずき”書道家 高橋卓也」が気になって検索してみたのだが、小豆が実る姿や煮立つ姿を表現したという「新あずき」の題字は、何と、16歳の高橋卓也さんだと知って、驚いた。
2歳で書道を始めた彼は、モントリオール国際芸術祭書道部門で最年少グランプリを受賞(2006年)、国立新美術館オープニング展に出品(2007年)、東北六魂祭(東北6県都の代表的夏祭りを一同に集めた祭り)の題字を制作(2011年)したそうだが、彼は、書道教室に通ったこともなく師匠も持たず、唯ひたすら自分の感性に従って文字と向き合うのだそうだ。
彼は、筆を左手で握り、下から上へ、上から横へと、書き順など無視して絵を描くように字を書き、岩手県在住だが、地元では「天童」と言われているそうだ。
数年前から3社の代表と饅頭フアンが一堂に会する「日本三大まんじゅうサミット」を開催し、お互いの切磋琢磨を誓い合っているそうだ。
なんと微笑ましいサミットなのであろうか。
柏屋のHPに「せいろで蒸かしながら売っていた白餡の薄皮饅頭」が見当たらなかったが、小豆餡に一本化されたのであろうか。