我が家の庭の四季を彩る梅の樹は、股関節の大手術に耐えた息子の全快祝いに植樹したものだが、早いもので、今年で23年目を迎えた。
国道248沿いにある幸田町の憩いの農園で買った時には、既に、古木の風情を漂わせていたが、桜にも勝るとも劣らない華麗な花や収穫した実で梅仕事を楽しませてくれた記念樹も、共に、23年という歳月を過ごしてきた老木は、加齢と折り合いをつけながら暮らす人間と同じで、筋力・体力が年々細り、これまで大きく伸ばしてきた枝が枯れ始めたのである。
去年の今頃「剪定のレベルを超えてしまったな、大々的な枝打ちをしなければ、樹全体をダメにしてしまう」という危機感に襲われ「やるかっ!」と一旦は思ったのだが「まてよ、もう一度見事な花を観てからでも良いか」と、安易に先延ばしをしてしまっていたのである。
何事もそうなのだが、「先延ばし」が梅の樹に与えてしまったダメージは計り知れないもので、これまでの隙間が無いほどに咲き誇った花は影を潜め、疎らで貧相な姿をさらけ出してしまったのだ。
例年だと、花が散ると間もなく若芽が出そろうものなのだが、散歩道の梅などはピカピカに輝く浅緑を呈しているのに、庭の梅は、枯木然として無表情に突っ立っていて、「あと2週間で平成から令和へ」などと言われ始めた頃に、ようやく、若芽がぽつぽつと出始めたのだ。
それも「ぽつぽつと出始めた若芽」が枝全体を覆っているというわけではなく、梢の辺りの芽吹き方は許容範囲だとしても、それ以外は、「疎らで貧相な花」の状態がそのまま横滑りしたようなものなのである。
「これは、やるしかない!」と始めた枝打ちであったが、何せ、使える道具はノコギリと剪定鋏だけ、樹齢の程は分からないが、枯れ気味の梅の古木の太い枝の堅さは例えようもない堅さなのだ。
二日がかりで「激・枝打ち」を終えたのだが、濡れ縁の前に積んだ大小の枝は小山を築き、朝一番のルーティーン・徒手体操をする場が完全に塞がれている。
経験した事のある人ならば「そうだっ!」と直ぐにわかる事なのだが、後片付けは枝打ちの比ではなく、何倍もの根気を要する作業なのだ。
濡れ縁に腰を掛け、山積みになっている枝を一本一本引き抜き、息を詰めながら、枝先は剪定鋏で枝元はノコギリで、市指定のごみ袋に収まる長さに切り落とし、袋詰めをしなければならない。
ようやく二日がかりで、徒手体操の場を取り戻すことができたのである。
妻が「葉も綺麗だし、実も可愛いね」と言いながら一枝を玄関に活けてくれたのだが、花瓶のお役を務めているのは二合五勺くらい入るお銚子、「松戸の頃、このお銚子でお燗をつけて飲んでいたのよ、懐かしいでしょう?」と言って笑った。
当時、出戻り輸入ワインの在庫が多く、3ヶ月に一度くらいの頻度で社内販売されていたが、仕事柄、晩酌はワインということが多かったのだが、灘の桜政宗や日本盛や山形の樽平などを、このお銚子に「とくとくっ、とくとくっ、とくとくっ」という小気味いい音を出し乍ら注ぎ、お燗をして飲んでいたことを、懐かしく想い出したのであった。
さて今宵は、大ぶりのワイングラスに、新潟・越の誉の一坏(ひとつき)をなみなみと注ぎ、二分の一にダウンサイジングされた記念樹の再生を願うとしようか。