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2022年 04月 29日
カタログを開くと、今回のポンペイ特別展で出品された作品の出土地として判明している「ポンペイの市街地」を見る事が出来るが、ⅠからⅨまでの区画で実際に見学できる遺跡には①から㊴までのナンバーが付されている。
出土地として判明している区画面積は44ヘクタールほどであると言われているので、1ヘクタール=3、000坪で計算すると、自分の計算に間違いが無ければ、ポンペイ市街地の面積は132、000坪という事になり、約14、000坪の東京ドームの9・5倍ということになる。ポンペイ遺跡をじっくり観ようとすると1日コースでは「無理な話」ということになる。 イタリア南部の先住民がサルノ川河口の丘に集落を作った事に始まるポンペイはイタリア中部の先住民族エトルリア人に占領されたと言う苦難の歴史があるが、故郷を思うポンペイの有志たちが近くに定住していたギリシヤ人と同盟を結び紀元前474年にエトルリアに支配されていたポンペイを奪還したのだが、その後のポンペイ市民の自己防衛について、イタリア考古学研究者・同志社大学講師・坂井 聰「イタリア・ポンペイ遺跡の発掘調査」によれば、ポンペイには外堀が巡らされ堅牢な城門から成る城壁に囲まれていたという。他の城塞都市と同じように、他民族の攻撃や侵略に備え厳しい防衛体制が敷かれていた事が窺える。 カタログの「ポンペイの市街地」で観光客の出入口となっている城門を見てみると、ヴェスヴィオ山と向き合う北門「ヴェスヴイオ門」から時計回りに北東門「ノーラ門」続いて東門「サルノ門」に至る。この東門からポンペイのメインストリートを南西に下るとナポリ湾に接する南西門「マリーナ門」に至るが、この通りは、荷馬車の轍(わだち)の跡が残る石舗装道路で当時の賑わいが聞こえてくるようだ。 残念ながらナポリ湾に注ぐサルノ川の源流は分からず仕舞いであったが、ヴェスヴイオ山の裾野辺りを流れ航行可能な川であったようだから、軍港ミセヌムから小型船を操ってサルノ川を上り大噴火の現場視察中に犠牲となったローマ海軍提督・大プリニウスを思い出す。 再び時計回りに目を移すと、南東門「ノチューラ門」から南門「スタビア門」を経てヴェスヴィオ山西麓の古代都市・エルコラーノに通じる西門「エルコラーノ門」の7つの城門がある。 さて、絢爛豪華な上流階級の暮らしぶりの間に戻ると、ポンペイの人口の四分の一ほどが奴隷で貧富の差の激しい格差社会であったと言う。読み書きの出来る者や能力ある者は厚遇され奴隷身分から解放される場合もあったそうだから、ギリシア・アテネから始まった民主政の影響を受けていたのかどうか、古代社会としては流動性の高い社会であったようだ。 目が覚めるような濃い青色の「青い水差し」や打ち出し細工で胴回りをロータス(蓮)の葉で飾った「金のランプ」や様々な色のガラス管を接合して作られるモザイクガラスの「千華文ガラス杯(酒杯)」など市民が謳歌する衣食住は、まるで、映画で観る古代ローマの貴族の館の質の高い暮らし振りを連想させられるものばかりである。 特に目を引くのはブドウ摘みを表した小アンフォラ「青の壺」である。 ポンペイの西門「エルコラーノ門」の巨大な墓地・埋葬所(ネクロポリス)で出土された「青の壺」の図柄は初代ローマ皇帝「アウグストゥスの平和の祭壇」をモチーフとして、バックス(ディオニュソス)の世界が描写されていると言われている。 通称アラ・パキス(Ara Pacis)と言われる「アウグストゥスの平和の祭壇」は、ヒスパニア(スペインとポルトガル等の領域古名)とガリア(フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、スイスの領域を指すローマ時代の呼称)で大勝利を収めたアウグストゥスがローマ帝国に平和を齎したという慶事を祝い元老院が奉献した(紀元前9年1月)記念碑であるが、精緻に彫刻された大理石の壁に囲まれた皇帝とその家族が、神々に生贄を捧げている場面が描かれている。 「青の壺」の中央上部にはブドウの木の枝が絡まり、把手に近い部分には小さなアモル(愛 · クピド=キューピッド)たちが小角柱に乗ってブドウを収穫したり楽器を奏でたりしているが、他のアモルたちは桶に入れたブドウを足で踏み潰している。壺の左右には冬でも葉が見られる常緑性のキヅタ(木蔦)で覆われ、神々に捧げられる生贄となる動物たちが下部に飼われている。 卵型の胴部と円筒型の頸部、そして、リブ付きの把手と尖底を持つ壺はカメオ・ガラスの技法で作られている。ガラスを吹いて円筒形を作り、それを白ガラスの溜まりに浸して回転させながら形を整えて底部を尖った楕円形に作り上げ、肩・頸部・口を形作って把手を取り付け、回転式の研磨具で外側の白ガラスを部分的に取り除きながらバックスの世界を完成させていると言う。 図柄に秘める作意の敬虔さと手が込む技法には驚かされるばかりだ。 少し急ぎ足で順路を進むが「2の3・女性の活躍」の間に神々しくお立ちになっているのは、ポンペイの教会堂地下の祭室・クリュプタ(crypt)の礼拝堂・アプシス(apsis)から出土したと言われる高さ194㎝の大理石像は古代ギリシヤの衣服・キトン(chitōn)をまとう女性神官の「エウマキア像」だが、アウグストゥス帝の皇妃リウィアの肖像に酷似しているとも言われているそうだ。 カタログには「家父長制のポンペイでは女性の地位は高くはなかったが家の女主人である既婚女性(マトローナ)は敬意を持って遇された」との解説があるが、女性に対する最高の名誉を与えられていたのがエウマキアであったと言う。彼女は神官として社会に貢献する傍ら毛織物業者組合の統率力で高い評価を受けその収入で財を成したと言われる。彼女の刻印が押されたアンフォラが数多く発見されているという。 「女性の活躍」で強く印象に残ったのは第Ⅵ区・西のインスラ出土のフレスコ画「書字版と尖筆を持つ女性」である。 第Ⅵ区には見学可能な「西のインスラ」があるそうだが、一握りの富裕層が住む邸宅(ドムス・Domus)に対し一般市民の大半はインスラ(īnsula)と呼ばれる借家(食堂や店舗付きの集合住宅)に住んでいたと言う。 髪をまとめる優美な金のネットから栗色の巻き毛がはみ出し、円形のイヤリングをつけているこの肖像画の美しい知的な女性は、古代ギリシヤの女性詩人・サッフォー(通称名)と呼ばれナポリ国立考古学博物館で最も有名な肖像画の一つだと言われている。 右手に持つ尖筆を唇にあて、左手には蝋を引いた書字版4枚を閉じた古代ローマの筆記用具・テトラプティコンを持ち詩作に耽っているのであろうか。 家父長制の下で暮らすポンペイ女性の立ち位置は決して高くはなかったが、家の切り盛りを任せられる既婚女性が尊敬の念を集めたり、女性神官として市民生活の中に入り込み実業社会で活躍した逸材が傑出するなど、奴隷制度や貧富の差の激しい格差社会であったにも関わらず、ポンペイの市民生活の根底には自由な社会を連想させられる一筋の光明が見えるのだが、如何なものであろうか。 明日からGWの休みに入ります。再投稿は5月13日(金)からです。 ポンペイ特別展の最終回は床面モザイク画「イッソスの会戦」を予定しています。
by c-bridge
| 2022-04-29 14:30
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